シャトルが教えてくれた、人生の「狙うべき場所」
バドミントンって、ただシャトルを打ち合うだけのスポーツじゃないんだよなぁ、なんて最近よく思う。特に、試合で点が入った時、あるいは惜しくも入らなかった時、シャトルの軌道って、なんか人生の縮図みたいに感じることがあるんだ。 狙ったところに正確に打つ。これは、仕事でもプライベートでも、どんな場面でも大事なことだよね。でも、バドミントンって、相手もいるし、風(体育館の空調だけど)もある。だから、完璧に狙ったところに打てなくても、それでいいんだ、って思わせてくれる。 例えば、スマッシュ。思いっきり叩きつけて相手のコートの奥を狙う。でも、ネットにかかったり、アウトになったり。それで、「あー、もうちょっと力加減を…」とか、「コースが甘かったな」とか、反省するわけだけど、その反省が次に繋がる。次に打つ時は、少しだけ角度を変えてみたり、スピードを落としてみたり。この試行錯誤が、すごく大事。 逆に、クリアーで相手のバックラインを狙う時。これが決まると、たまらない快感がある。あれは、まさに「狙い澄ました一打」だ。 でも、もっと面白いのは、狙ったところに綺麗に決まらなかったのに、相手が取れずにポイントになった時。あれは、もう「棚からぼたもち」というか、「予想外の幸運」みたいなもの。人生だって、計画通りにいかないことの方が多い。でも、その予期せぬ展開が、意外なラッキーに繋がったりするんだよね。 だから、バドミントンをしてると、シャトルの行方を見ながら、「ああ、人生もこんな風に、狙うべき場所を見失っても、諦めずに打ち続けていれば、いつか良い結果に繋がるのかもしれないな」なんて、壮大なことを考えてしまったりする。 もちろん、基本が大事なのは言うまでもない。でも、たまには、そういう「狙いを外した」一打から生まれるドラマも、楽しんでいきたいな、と思う今日この頃だ。