第51回 活動報告

あおぞらの輪
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【活動報告】第51回 活動報告

 私たちの中には「物語」が存在している.家族で,友達と,職場で,あるいは自分自身と.関わりをもち,共に時間を過ごす中で,知らず知らずのうちに「物語」は創られる.それは無意識に信じているものであり,本人の信条や価値観を形成している.本人の言動を裏から支える「自信」を作ってくれるものでもあるし,時には他人に押し付けてしまう「正義」として顔を出すこともある.しかし,間違いなく自分の存在や振る舞いを後押ししてくれる存在になっており,つまり私たちは「物語」に支えられている.しかし,縛られてもいる.「〜すべき」「〜しなければならない」という基準を自身に向け,負の連鎖から抜け出すことができなくなることがある.その「物語」を信じているが故,時に退路をなくし,時に自らを責め続けるような役割を持ってしまうこともある.しかし,普段はなかなか面に顔を出すことが少ないために,自分を無意識に支えている「物語」の存在を意識することはあまりない.何を信じて行動しているのか,またそれをなぜ信じるようになったのか,振りかえる暇も必要感も,なかなか持つことはできない.

 今年最後の「あおぞらの輪」でも,様々な「物語」が交差していた.言葉や振る舞いの背後に流れる「物語」.表層的に現れる言葉たちに耳を傾けながら,その背後に流れる「物語」に心を澄ませる.「どうしてこの方は,このような言葉を話したのだろう?」「どうしてこの方は,この本を今日選ぼうと思ったんだろう?」「どうしてこの方は,このような出来事に引っかかりを覚えているのだろう?」言葉を交わせば交わす程に,見えない・わからない部分が見えてくる(ような気がする).互いに「傾聴・受容」「質問・発問」という形で互いの言語化を支えながら,互いの背後に流れる「物語」が徐々に見えてくる.次第にではあるが,今日集まったメンバーだからこそ話し合いが深まりそうな「問い」や「テーマ」が見えてくる.互いが何を支えにしており,どんなことを当たり前だと思っているのか.共通の物語を持っていれば「共感」という感情に話を深めるきっかけになるし,異なる「物語」を持っていることがわかれば,全く異なる視点からの話から有意義な気づきを得ることができることもある.勿論,異なる「物語」がぶつかった時は,互いに(あるいはどちらか一方が)傷つくこともある.互いの言葉の背後に流れる「物語」を安心して表出することができれば,初めて会った人同士でも,より有意義な対話に発展する可能性が多いことがわかったことも,このサークルから得た気付きだと思う.

 今回の「物語」という視点も,現在参加してくれているある方が紹介してくれて本の話を聴いて得ることができた.そして,その「物語」が人の人生を支えもするし,縛られてもいる,ということも私が参加していたグループの対話を聴いて得た視点だった.もらった視点やエピソードを聴くと,自分の背後にある「物語」は変化していく.誰かの話が誰かの「物語」を変化させ,また他の誰かの話が他の誰かの「物語」を変化させる.

#あおぞらの輪 #知的活動 #仙台