第48回 活動報告
【活動報告】第48回 あおぞらの輪
一期一会の出逢いによる「かけがえのなさ」を感じることがある.今日のメンバー・グループで対話的な活動ができるのは今日しかない.そして何より,今日の自分とは今日しか出逢うことができない.今の「私たち」でどのような「知」や「時間」を創り出すことができるのか.どんな言葉を据え,どんな問いを投げ掛ければ,場の中における「対話」がより充実したものになるのか.誰かの言葉に耳を傾けながら「じぶんのことば」を紡いでいく.そんなひと時ひと時のもつ「かけがえなさ」というものを大切にしたいと感じている.
今回の小グループ(3〜4人)の活動では,実際に活動の中には入らず,少し離れた位置から皆さんの「対話」を拝聴させていただいた.興味深かったのは,それぞれのグループの「対話」における「リズム」や「間」・「緩急」が異なっていたことだ.例えばあるグループでは,あまりイレギュラーな発言が起こらない代わりに,安心して言葉を落とせる空気感がゆったりと流れていた.誰かの発言の際には,周りは静かに最後まで聴いてくださっている.話している人が「聴いてもらっている」「受け入れてもらっている」と体感できるから,初めての人同士でも安心して「じぶんのことば」を紡ぐことができているようだ.そして,そんなグループの間に流れる「沈黙」はどこか許されている感じがする.またあるグループでは,1人の方が積極的に引っ張ってくださっており,「もっと教えて!」「聞きたい!」「それでそれで?」など,他のメンバーが話たくなるような雰囲気を作ってくださっていた.「陽」の空気感とでも言えば良いのか.そして他のメンバーもその空気感に上手に乗っており,「じぶんのことば」を積極的に投げ込んでいる.そしてあるグループでは,本から受け取ったものや日頃から考えていることなど,溢れるような知識量や経験をもつ言葉たちが,それこそ滝のように場に流されていた.本や問いに対して真剣に向き合ってきたからこその「知」に対する敬意というべきであろうか.数々産み落とされている「知」の前に,人間の存在感はあらゆる意味で薄くなっていく.目の前にある対象そのものに対して全霊で向かい,「対話」というよりも「議論」に近いような「じぶんのことば」の横行に,軽い立ちくらみすら覚える.
なんというか,「あおぞらの輪」に来てくださる方々は,偶然の出逢いを楽しめる方たちが多いような気がする.初めての人たち同士で「対話」をする負担を軽減するべく運営側も様々な手を入れるが,最終的には参加した方々の「出逢いをつくる力」に頼ってしまうことが多い.今日,この場で,このメンバーで,どんな「知」や「時間」をつくることができるのか.まるで遊ぶように何かを創っていくことを楽しむ背中に,私はただただ胸躍っている.
今回の小グループ(3〜4人)の活動では,実際に活動の中には入らず,少し離れた位置から皆さんの「対話」を拝聴させていただいた.興味深かったのは,それぞれのグループの「対話」における「リズム」や「間」・「緩急」が異なっていたことだ.例えばあるグループでは,あまりイレギュラーな発言が起こらない代わりに,安心して言葉を落とせる空気感がゆったりと流れていた.誰かの発言の際には,周りは静かに最後まで聴いてくださっている.話している人が「聴いてもらっている」「受け入れてもらっている」と体感できるから,初めての人同士でも安心して「じぶんのことば」を紡ぐことができているようだ.そして,そんなグループの間に流れる「沈黙」はどこか許されている感じがする.またあるグループでは,1人の方が積極的に引っ張ってくださっており,「もっと教えて!」「聞きたい!」「それでそれで?」など,他のメンバーが話たくなるような雰囲気を作ってくださっていた.「陽」の空気感とでも言えば良いのか.そして他のメンバーもその空気感に上手に乗っており,「じぶんのことば」を積極的に投げ込んでいる.そしてあるグループでは,本から受け取ったものや日頃から考えていることなど,溢れるような知識量や経験をもつ言葉たちが,それこそ滝のように場に流されていた.本や問いに対して真剣に向き合ってきたからこその「知」に対する敬意というべきであろうか.数々産み落とされている「知」の前に,人間の存在感はあらゆる意味で薄くなっていく.目の前にある対象そのものに対して全霊で向かい,「対話」というよりも「議論」に近いような「じぶんのことば」の横行に,軽い立ちくらみすら覚える.
なんというか,「あおぞらの輪」に来てくださる方々は,偶然の出逢いを楽しめる方たちが多いような気がする.初めての人たち同士で「対話」をする負担を軽減するべく運営側も様々な手を入れるが,最終的には参加した方々の「出逢いをつくる力」に頼ってしまうことが多い.今日,この場で,このメンバーで,どんな「知」や「時間」をつくることができるのか.まるで遊ぶように何かを創っていくことを楽しむ背中に,私はただただ胸躍っている.
(u_u)宗教の役割とは?
「宗教」「政治」「性」「死」「お金」「労働」など.身近なことでありながら,どこか語ることを敬遠している話題がある.それぞれの「生」に深く結びついている事柄であるにも関わらず,強い思いを持っているが故に,傷つき傷つけ合うことを恐れてしまっている.自分の本音を真っ向から否定されたり,嘲笑の的になってしまうことが怖いのかもしれない.あおぞらの輪では,「神はいるのか?」「今の首相について」「よい生き方とは?」「誰かに「死にたい」と言われたらなんと返すか?」など,数多くの敬遠されがちな問いが場に出された.最近になって思うのは,語る内容ではなく,その語り方や聴き方に工夫が必要なのではないか‥と思った.自分たちにとって重大な問題をなかなか話せない‥ということは,なんというか寂しい.安心・安全な場の中で,自分にとって重大な問題について遠慮なく話せること.そういう問題こそ,他者の傾聴や視点の力を借りることで,それぞれにとって興味深い気付きが生まれるかもしれない.理想論だが,諦めるのは勿体無い気がする.
【実際の対話】※もしかしたら,実際使われた言葉と異なるかもしれません.
◎「役割」について
・「心の安らぎ」のため.⇨ 「利益を得る」方向に行きすぎるのは良くない.
・誰しも強いわけではない,(生き方の?)土台がぐらぐら揺れる人がいる.
⇨ 宗教は人生に「物語」を与える.
・世界や人生はカオスに満ちている.何も持たないと太刀打ちできない.
⇨「理由」があれば,耐えられる.
・自分の身近に平生を保つことが難しい人がいる.
⇨ そういう人に宗教(何か縋るもの)が必要?しかし,こちらから進める訳にはいかない.
・道徳や倫理観の基準,政治的な利用も昔はあった.
・超越した存在として提示し,民衆の反発を押さえつける意味合いもあった.
・「心の安らぎ」のため.⇨ 「利益を得る」方向に行きすぎるのは良くない.
・誰しも強いわけではない,(生き方の?)土台がぐらぐら揺れる人がいる.
⇨ 宗教は人生に「物語」を与える.
・世界や人生はカオスに満ちている.何も持たないと太刀打ちできない.
⇨「理由」があれば,耐えられる.
・自分の身近に平生を保つことが難しい人がいる.
⇨ そういう人に宗教(何か縋るもの)が必要?しかし,こちらから進める訳にはいかない.
・道徳や倫理観の基準,政治的な利用も昔はあった.
・超越した存在として提示し,民衆の反発を押さえつける意味合いもあった.
◎「宗教」について
・現代の宗教は,多くの人にとって意味を失っている.
・もしかしたら,宗教が消失したのではなく,似ている形のものに成り代わっている?
例)推し活,国家,大谷翔平
・イエスやブッダは,
○「宗教」と「推し活」の違い
・「宗教」は「推し活」よりスケールが大きい.長い歴史と巨大なコミュニティが背景にある.
⇨ その中に所属することで,所在感のなさから救われる人がある.
・「宗教」に対する「信仰」には「経典」がある.「推し活」には?
・現代の宗教は,多くの人にとって意味を失っている.
・もしかしたら,宗教が消失したのではなく,似ている形のものに成り代わっている?
例)推し活,国家,大谷翔平
・イエスやブッダは,
○「宗教」と「推し活」の違い
・「宗教」は「推し活」よりスケールが大きい.長い歴史と巨大なコミュニティが背景にある.
⇨ その中に所属することで,所在感のなさから救われる人がある.
・「宗教」に対する「信仰」には「経典」がある.「推し活」には?
◎その他
・現代のアニメでは「神」をモチーフにしたキャラクターが多く存在している.
・「宗教」については良くわからないが,何かハマれるものが欲しかったのでは?
・「宗教」と「神話」の違いは?
・現代のアニメでは「神」をモチーフにしたキャラクターが多く存在している.
・「宗教」については良くわからないが,何かハマれるものが欲しかったのでは?
・「宗教」と「神話」の違いは?
対話の時間が十分に取れていないのが,最近の反省.いつもいつも,これからいいところで終わってしまう.この時間にこそ「対話」の面白い部分が十分に詰まっているはずなのに,最低でも40分から45分くらいは取りたい.(本当は足りないくらいだけど‥)安定して予約が取れて,9時から13時で貸し出してくれる場所知りませんか?
📚あおぞらの輪📚
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