「問い」を問う会

あおぞらの輪
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【活動報告】あおぞらの輪 「問い」を問う会

 参加者のある方から,「これまでにみんなで話し合った「問い」について分析してみたら面白いんじゃないですか?」というアイディアをいただき,提案に乗っかって企画することに。会全体を振り返ってみると,これまで出てきた「問い」を眺めながら,「問う」こと自体に関して手探りで言語化を試みたような感じがあった。

 まずは手始めに,自身の体験やそこに含まれていた気付きをこの場に落としてみる。「問うこと」について思い浮かぶままに(あるいは,深く掘るための切り口を探しながら),それぞれの視点から言葉を落としていく。詳しい内容は省くが,話題は「言葉による世界の分節」や「普段,何が問うことを妨げているのか」,「ドーナツの「穴」」など豊かな対話が重ねられる。

 次に,「これまでの問い」を机に並べ,一旦眺めてみる。それぞれ語られたことを書いてみるとこんな感じである。

・「自分」や「人間関係」に関する問い(日常的に触れる頻度が高めだが,なかなか周囲に打ち明けられないような問い)が,若い年齢層のひとたちから多く出されている。
・逆に,ベテランの方々が出してくださる問いには,特質した傾向はあまり見られず,話題や観点もバラバラである。
・「問い」と「悩み」が混ざり合ったような問いが存在している。
・「問い」を出すひとは,ただ単に答えを求めているだけではない。自分の考えに共感して欲しかったり,同じ考えをもつひとを見つけて安心したかったり,考えること自体の喜びを共有したかったり様々である。
・「葛藤」が生まれるような「社会問題」に関する問いでは,幅広い年齢層の方が意欲的に対話に参加していた印象がある。
・発言に対する「責任」が重すぎないことが,表現のしやすさに繋がっている。
・おそらくは,まだまだ打ち明けることができないような,隠れている「問い」がまだまだ存在する。

 取りこぼしている考えがあるかもしれないが,大体はこんな感じであった。
 どのような場所であれば,自分の本心に近い(あるいは「自分ごと」の)問いや話題を落としやすいか,という話が印象的だった。これまで対話のなかで落とされた言葉のなかで,普段もやもやと考えてはいるけど投げ込むのに勇気のいる言葉たち。(例えば,性,死,金,宗教に関する問いや話題)
 誰かを傷つけてしまうかもしれない,あるいは誰かに傷つけられてしまうかもしれない恐れ。ひとの「心」は目に見えないからこそ,どのように届くかわからない言葉に細心の注意を払う。よくも悪くも「優しく」なった私たちは,当たり障りのない言葉を投げ込みがちである。

 全体を通して,「問うこと」に関連する話題やエピソードを持ち寄り,「問うこととはどういうことか?」の全容の解像度を手探りであげていくような時間だった。

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