第36回 活動報告
【活動報告】第36回 あおぞらの輪
今月始めの学習会は,9名の方にご参加いただき,幕を開けることとなった。暖かい陽射しに包まれながら,ひとり,またひとりといつものお部屋が賑わいを帯びてゆく。今日はどんな出逢いがあるのかな…??と適度な期待と緊張感を孕んだ空気をもちながら,今日も学習会が始まってゆく。
今回は哲学対話について。ある参加者の方がさり気なく投じた問いが,(考える時間は30分もなかったのだが)まだ私のなかをぐるぐるしている。その方は,ただただみんながどう思うか?を聴いてみたかったみたいだったのだが😁皆さんは,以下の問いにどんな答えをもつだろうか??
「人生の目的・ゴールについて」
そういえば最近,この問いをいたるところでよく見かける(目にする)気がしている。私自身が↑のような問いに関心があるからなのか,様々なひとから相談を受ける機会に恵まれたからか。それにしても「キャリア」や「ライフプラン」など,「人生」について考える(あるいは考えさせられる)機会は日毎に増えている気がする。この問いが問題となる背景には,一体何が潜んでいるのだろうか。
・あまりにも多種多様な生き方の選択肢が示されていること
・より充実した「生」を目指したくなるような宣伝や広告で溢れていること
・どれも「正解らしい」ように見えてしまうこと
・生き方を決める基準も多種多様かつ曖昧であり,何を寄る辺にしたらよいかが分かりづらいこと
・「できること」で人間の価値を測られ,常に自身の存在の不安に晒されていること
・将来の不安を打ち消すため(あるいは未来の充実をはかるため)に,今現在の自分が消費されがちであるということ
などなど,考えればきりがない。
参加者のひとたちの考えを聞いてみると,「人生の目的・ゴール」といった長期的な目標をきっちりたてている方はあまりおらず,そもそも「目的」や「ゴール」という言葉にあまりこだわっていらっしゃらない様子である。「今・この瞬間」の自身の感情を大切にしたり,目の前の1日1日に集中したり,行く先をあんまり明瞭にせずに(むしろその不明瞭さを楽しんでいるようにさえ見える),日々を過ごしている…?感じがする。
ある参加者の方に,「老いる」ということについて尋ねたことがある。まだまだ若輩の私からすると,「これまでできた何かができなくなっていくこと」「何かが失われてしまうこと」に不安や恐怖を覚えてしまう。「老いる」ことについてどのように考えているのか?と,普段なかなか打ち明けられない疑問を直でぶつけてしまったことがある。
その方は,(いつものごとく,じっくりと考え,落ち着いた雰囲気で言葉を置いていく)「老いる」ということについて,けして悲観的には捉えていなかった。70歳になろうと,80歳になろうと,「今,自分がもっている何か」を使って,何かを成し遂げようとするのは変わらないだろう…と。70歳になったら70歳の自分が,80歳になったら80歳の自分が,何かしらやるんじゃないか,と。
未来についてあんまり見通しを定めないまま,「今この瞬間」「今日の1日」の「生」に焦点を当て,充実させてゆく。その一間の「生」の積み重ねが「人生」となってゆく。
↑このような考え方に徹するまでには,私はまだまだ足りないもの(あるいは余分なもの)がある気はする。しかしたくさんの参加者がいながらも,「人生」の捉え方について,普遍的な考え?のように触れることができたのも,興味深かった。
↑この考えに,「本当に?」をもつ苦しみを味わえることも,私たち人間が享受したものなのかもしれない笑
📚あおぞらの学び舎📚
#あおぞらの学び舎 #あおぞらの輪 #読書 #対話 #哲学 #自分づくり #自分らしく #学び続ける #生涯学習 #学ぶ楽しさ #学ぶ意味 #自己 #自己肯定 #自己実現 #仙台市 #山元町 #川崎市 #田村市
今月始めの学習会は,9名の方にご参加いただき,幕を開けることとなった。暖かい陽射しに包まれながら,ひとり,またひとりといつものお部屋が賑わいを帯びてゆく。今日はどんな出逢いがあるのかな…??と適度な期待と緊張感を孕んだ空気をもちながら,今日も学習会が始まってゆく。
今回は哲学対話について。ある参加者の方がさり気なく投じた問いが,(考える時間は30分もなかったのだが)まだ私のなかをぐるぐるしている。その方は,ただただみんながどう思うか?を聴いてみたかったみたいだったのだが😁皆さんは,以下の問いにどんな答えをもつだろうか??
「人生の目的・ゴールについて」
そういえば最近,この問いをいたるところでよく見かける(目にする)気がしている。私自身が↑のような問いに関心があるからなのか,様々なひとから相談を受ける機会に恵まれたからか。それにしても「キャリア」や「ライフプラン」など,「人生」について考える(あるいは考えさせられる)機会は日毎に増えている気がする。この問いが問題となる背景には,一体何が潜んでいるのだろうか。
・あまりにも多種多様な生き方の選択肢が示されていること
・より充実した「生」を目指したくなるような宣伝や広告で溢れていること
・どれも「正解らしい」ように見えてしまうこと
・生き方を決める基準も多種多様かつ曖昧であり,何を寄る辺にしたらよいかが分かりづらいこと
・「できること」で人間の価値を測られ,常に自身の存在の不安に晒されていること
・将来の不安を打ち消すため(あるいは未来の充実をはかるため)に,今現在の自分が消費されがちであるということ
などなど,考えればきりがない。
参加者のひとたちの考えを聞いてみると,「人生の目的・ゴール」といった長期的な目標をきっちりたてている方はあまりおらず,そもそも「目的」や「ゴール」という言葉にあまりこだわっていらっしゃらない様子である。「今・この瞬間」の自身の感情を大切にしたり,目の前の1日1日に集中したり,行く先をあんまり明瞭にせずに(むしろその不明瞭さを楽しんでいるようにさえ見える),日々を過ごしている…?感じがする。
ある参加者の方に,「老いる」ということについて尋ねたことがある。まだまだ若輩の私からすると,「これまでできた何かができなくなっていくこと」「何かが失われてしまうこと」に不安や恐怖を覚えてしまう。「老いる」ことについてどのように考えているのか?と,普段なかなか打ち明けられない疑問を直でぶつけてしまったことがある。
その方は,(いつものごとく,じっくりと考え,落ち着いた雰囲気で言葉を置いていく)「老いる」ということについて,けして悲観的には捉えていなかった。70歳になろうと,80歳になろうと,「今,自分がもっている何か」を使って,何かを成し遂げようとするのは変わらないだろう…と。70歳になったら70歳の自分が,80歳になったら80歳の自分が,何かしらやるんじゃないか,と。
未来についてあんまり見通しを定めないまま,「今この瞬間」「今日の1日」の「生」に焦点を当て,充実させてゆく。その一間の「生」の積み重ねが「人生」となってゆく。
↑このような考え方に徹するまでには,私はまだまだ足りないもの(あるいは余分なもの)がある気はする。しかしたくさんの参加者がいながらも,「人生」の捉え方について,普遍的な考え?のように触れることができたのも,興味深かった。
↑この考えに,「本当に?」をもつ苦しみを味わえることも,私たち人間が享受したものなのかもしれない笑
📚あおぞらの学び舎📚
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