第33回 活動報告
【活動報告】第33回 あおぞらの輪
窓の外は,3月の雪。降らす雲たちは何処に隠れていたのか。冷気が広すぎる和室を粛々と占めていて,暖房たちが頑張ってくれても時間はかかりそう。ぽつりぽつりと人が集まり,八木山の会では最大の9名が部屋の中に。少ない時には4名で行った会もあったことを思い返すと,(大切なのは人数の多さではないことは重々分かっていても…)やはり多くのひとに足を運んで貰えるのは心が躍る。
さて,本日はどんな言葉たちが飛び交うのか。
前半の小グループ活動(マインドマップ作成やおすすめの本紹介)では,私のグループで「自立に向けた働き方」が話題となった。
ある方は,自身の会社の部下への育成について,本から学んだことや実際に現場で考えてきたことを投げ込んでくれた。会社や家庭で充分に頑張っている自身の部下に,一体どんな関係のもと,どんな情報を伝えれば,「技術的な自立」を果たせることができるのか?簡単にマニュアル化できないお仕事である以上,何をどこまで教えたら,部下が自分自身で課題を解決できるようになるのか。ビジネス書を漁りながら,「育てる」という行為について真剣に向き合っていらっしゃる熱量に心が震えてしまった。
ある方は,ご自身の今後の働き方について,もやもやと悩んできたことを話題にあげてくれていた。自身での「稼ぎ口」を持つと,「組織のなかで従属するような働き方」からある程度距離感をもって「経済的な自立」を果たすことができる。その方自身も,本業とは別の副業をもつ必要感を感じ,試し打ちをしてみたらしい。しかし,副業とは言っても,仕事は仕事。先に何年も経験している人には,そう簡単には敵わない。今の自分がすでに持っている能力で,どんな副業で勝負したら,社会のなかで価値ある自分になることができるのか?目標としている「経済的な自立」を手に入れることができるのか?私を含め多くのひとが抱えている問題意識の核心をつくような内容だったように感じた。
この会に来てくださる参加者のうち,一定数の割合の方が,「働き方」や「生き方」について悩みを抱えながら,自分の社会的な価値を見出そう・創り出そうと藻掻いている。中には,組織のなかの一員として働く,という働き方に疑問をもったり,どうしても肌に合わなかったり,という参加者もいらっしゃる。(大変に勇気のあることだと頭が下がる想いではあるが,ご自身の状況について打ち明けてくださる方もいる)
勤労を義務としているこの国で,「生きること」と「働くこと」の距離の近さ故に,自身の価値や未来について,不安に思っていらっしゃる方はやはり多いのだろう。人間の価値を,「〜できること」のみで判斷するようになってしまうと,「代替可能な存在」に成り下がってしまう。ある一定の課題を自力で解決し,成果を上げられたら,お金が貰えるという当たり前のことの裏には,ある一定の課題を自力で解決し,成果を上げられなかったら,あなたの存在を認めない…,というメッセージを受け取ってしまうひとが少なくない。
人間的な価値=社会的な価値として捉えている以上,どんなに努力を行い,どんなに優秀だと認められても,明日自分の存在価値がなくなってしまうかもしれないという不安に晒され続けるという事実からは逃れられない。
↑のような悩みに日々自分を擦り減らしてきたひとが,何故「あおぞらの輪」を頼ってくれているのかを考えてみた。
これは,「話す・聴く」のもつ力でもあるような気がするのだが,「誰かが他の誰でもない「私」に向かって投げかけている」矢印の多さがそのひとつなのかな…と感じた。
「私」に向かって話をしてくれている,「私」に向かって問いを投げかけてくれている,「私」に向かって新しい視点をもたらしてくれる,「私」に向かって眼差しを向けてくれている,「私」に向かって聴いてくれている,「私」に向かって待ってくれている。
例え「私」が,社会的な価値がなくとも(つまり「〜できる」ということを持たずとも),他の誰にも変わることがない,かけがえのない存在として認めてくれている誰かがいる。そんな矢印の多さに,何かの「力」をもらうひとが多いのだろう。
社会的な価値を一旦脇に置き,かけがえのない存在としての自分の価値を感じる環境に身を置くこと。
このことだけで救われる「心」があることだけは,確かな事実であるような気がしてならない。
📚あおぞらの学び舎📚
#あおぞらの学び舎 #あおぞらの輪 #読書 #対話 #哲学 #自分づくり #自分らしく #学び続ける #生涯学習 #学ぶ楽しさ #学ぶ意味 #自己 #自己肯定 #自己実現 #仙台市 #山元町 #川崎町
窓の外は,3月の雪。降らす雲たちは何処に隠れていたのか。冷気が広すぎる和室を粛々と占めていて,暖房たちが頑張ってくれても時間はかかりそう。ぽつりぽつりと人が集まり,八木山の会では最大の9名が部屋の中に。少ない時には4名で行った会もあったことを思い返すと,(大切なのは人数の多さではないことは重々分かっていても…)やはり多くのひとに足を運んで貰えるのは心が躍る。
さて,本日はどんな言葉たちが飛び交うのか。
前半の小グループ活動(マインドマップ作成やおすすめの本紹介)では,私のグループで「自立に向けた働き方」が話題となった。
ある方は,自身の会社の部下への育成について,本から学んだことや実際に現場で考えてきたことを投げ込んでくれた。会社や家庭で充分に頑張っている自身の部下に,一体どんな関係のもと,どんな情報を伝えれば,「技術的な自立」を果たせることができるのか?簡単にマニュアル化できないお仕事である以上,何をどこまで教えたら,部下が自分自身で課題を解決できるようになるのか。ビジネス書を漁りながら,「育てる」という行為について真剣に向き合っていらっしゃる熱量に心が震えてしまった。
ある方は,ご自身の今後の働き方について,もやもやと悩んできたことを話題にあげてくれていた。自身での「稼ぎ口」を持つと,「組織のなかで従属するような働き方」からある程度距離感をもって「経済的な自立」を果たすことができる。その方自身も,本業とは別の副業をもつ必要感を感じ,試し打ちをしてみたらしい。しかし,副業とは言っても,仕事は仕事。先に何年も経験している人には,そう簡単には敵わない。今の自分がすでに持っている能力で,どんな副業で勝負したら,社会のなかで価値ある自分になることができるのか?目標としている「経済的な自立」を手に入れることができるのか?私を含め多くのひとが抱えている問題意識の核心をつくような内容だったように感じた。
この会に来てくださる参加者のうち,一定数の割合の方が,「働き方」や「生き方」について悩みを抱えながら,自分の社会的な価値を見出そう・創り出そうと藻掻いている。中には,組織のなかの一員として働く,という働き方に疑問をもったり,どうしても肌に合わなかったり,という参加者もいらっしゃる。(大変に勇気のあることだと頭が下がる想いではあるが,ご自身の状況について打ち明けてくださる方もいる)
勤労を義務としているこの国で,「生きること」と「働くこと」の距離の近さ故に,自身の価値や未来について,不安に思っていらっしゃる方はやはり多いのだろう。人間の価値を,「〜できること」のみで判斷するようになってしまうと,「代替可能な存在」に成り下がってしまう。ある一定の課題を自力で解決し,成果を上げられたら,お金が貰えるという当たり前のことの裏には,ある一定の課題を自力で解決し,成果を上げられなかったら,あなたの存在を認めない…,というメッセージを受け取ってしまうひとが少なくない。
人間的な価値=社会的な価値として捉えている以上,どんなに努力を行い,どんなに優秀だと認められても,明日自分の存在価値がなくなってしまうかもしれないという不安に晒され続けるという事実からは逃れられない。
↑のような悩みに日々自分を擦り減らしてきたひとが,何故「あおぞらの輪」を頼ってくれているのかを考えてみた。
これは,「話す・聴く」のもつ力でもあるような気がするのだが,「誰かが他の誰でもない「私」に向かって投げかけている」矢印の多さがそのひとつなのかな…と感じた。
「私」に向かって話をしてくれている,「私」に向かって問いを投げかけてくれている,「私」に向かって新しい視点をもたらしてくれる,「私」に向かって眼差しを向けてくれている,「私」に向かって聴いてくれている,「私」に向かって待ってくれている。
例え「私」が,社会的な価値がなくとも(つまり「〜できる」ということを持たずとも),他の誰にも変わることがない,かけがえのない存在として認めてくれている誰かがいる。そんな矢印の多さに,何かの「力」をもらうひとが多いのだろう。
社会的な価値を一旦脇に置き,かけがえのない存在としての自分の価値を感じる環境に身を置くこと。
このことだけで救われる「心」があることだけは,確かな事実であるような気がしてならない。
📚あおぞらの学び舎📚
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