第31回 活動報告
【活動報告】第31回 あおぞらの輪
会の最初は、いつもマインドマップを書いてもらう。自分の興味関心や問題意識のキーワードとなる言葉をただただ書き出すというもの。最近の出来事を羅列するひともいれば、ふと気になった言葉からの連想ゲームをするひともいる。自分との関わりの深い言葉を使った言葉遊び。多様な語りの中に、その人の「らしさ」みたいなものが出てくる。これが毎回面白いのだ。
今回の私の班では、たまたまタイプの異なる2人が一緒になった。1人は、「安定」を大切にするタイプ。いつも大丈夫な自分をつくるために、何が必要か言葉を書き出していた。もう1人は、「目的」を大切にするタイプ。心からわくわくすることに向かって、何が必要かを言葉で書き出していた。あとから振り返ってみると、それらは、双方「心にとっての必要最低限」を書き出したように感じた。これさえあれば、自分の心は大丈夫だと思えるような。
皆さんの人生にとっての「必要最低限」を5つ書き出すとき、「安定」に近い言葉なのか、「目的」に寄った言葉なのか、一体どちらに傾くんだろうか?いつか聞いて回りたい笑。
哲学対話のテーマは、「神様は必要か?」という問いだった。一見スピリチュアルで、一定のひとには受け入れられ辛いもののように思えるが、「無意識・無条件で自分の存在を肯定してくれるもの(母性的)」と「無意識・無条件で自分の行動の指針を示してくれるもの(父性的)」についての対話、と言い換えてもよいかもしれない。
私たちは、誰かに相談をするとき、とにかく私の話を聴いてほしいときと、相談内容について納得のいく答えや自分だけでは見つけられなかった視点がほしいときとがある。先ほどの言葉を使えば前者が「母性的」な神様を必要としている状態、後者が「父性的」な神様を必要としている状態ともいえそうだ。人間には、自分自身の存在自体を受容するために必要な器と、自分の行動の指針を信条とするために必要な器とがあり、「他者」との交流の中で、そのふたつの器が、なんらかの液体によって満たされる必要があるのかもしれない。
しかし、この液体を何によって満たされるかは重要で、その満たされ方の中にはあまり健全ではないものもあるといえる。例えば、カルト系の宗教やネズミ講的な商法、例えば、SNSのいいね!を過剰に欲する状態、例えば、自分の欲求を満たすためだけに「正論」を振りかざす人たち。私たちが何を心から欲しているかをよく分かっていながら、何かを搾取しようと目論む(あるいは、そんな意識がなくとも、搾取している)人はいるかもしれない。
自分の中の2つの器。「存在受容」と「行動指針」に必要な器。一体どんな「他者」を介して、その器「満たされる」必要があるのかについては、一度考えてみてもよいかもしれない。
隣のお部屋は、すずめ踊り(?)の練習だったのか、祭囃子が「対話」の場に響き渡る。時折、建物前の道路では選挙放送が幅を利かせていた。背景の音の大きさで、それぞれの声が聴き取れなくなったので、お互いの話に集中力を使ったのが、印象的であった。いつもより、きゅっとこじんまりした対話の場で、頭フル回転の濃い時間だったように思う。
📚あおぞらの学び舎📚
#あおぞらの学び舎 #あおぞらの輪 #読書 #対話 #哲学 #自分づくり #自分らしく #学び続ける #生涯学習 #学ぶ楽しさ #学ぶ意味 #自己 #自己肯定 #自己実現 #仙台市 #山元町 #川崎町
会の最初は、いつもマインドマップを書いてもらう。自分の興味関心や問題意識のキーワードとなる言葉をただただ書き出すというもの。最近の出来事を羅列するひともいれば、ふと気になった言葉からの連想ゲームをするひともいる。自分との関わりの深い言葉を使った言葉遊び。多様な語りの中に、その人の「らしさ」みたいなものが出てくる。これが毎回面白いのだ。
今回の私の班では、たまたまタイプの異なる2人が一緒になった。1人は、「安定」を大切にするタイプ。いつも大丈夫な自分をつくるために、何が必要か言葉を書き出していた。もう1人は、「目的」を大切にするタイプ。心からわくわくすることに向かって、何が必要かを言葉で書き出していた。あとから振り返ってみると、それらは、双方「心にとっての必要最低限」を書き出したように感じた。これさえあれば、自分の心は大丈夫だと思えるような。
皆さんの人生にとっての「必要最低限」を5つ書き出すとき、「安定」に近い言葉なのか、「目的」に寄った言葉なのか、一体どちらに傾くんだろうか?いつか聞いて回りたい笑。
哲学対話のテーマは、「神様は必要か?」という問いだった。一見スピリチュアルで、一定のひとには受け入れられ辛いもののように思えるが、「無意識・無条件で自分の存在を肯定してくれるもの(母性的)」と「無意識・無条件で自分の行動の指針を示してくれるもの(父性的)」についての対話、と言い換えてもよいかもしれない。
私たちは、誰かに相談をするとき、とにかく私の話を聴いてほしいときと、相談内容について納得のいく答えや自分だけでは見つけられなかった視点がほしいときとがある。先ほどの言葉を使えば前者が「母性的」な神様を必要としている状態、後者が「父性的」な神様を必要としている状態ともいえそうだ。人間には、自分自身の存在自体を受容するために必要な器と、自分の行動の指針を信条とするために必要な器とがあり、「他者」との交流の中で、そのふたつの器が、なんらかの液体によって満たされる必要があるのかもしれない。
しかし、この液体を何によって満たされるかは重要で、その満たされ方の中にはあまり健全ではないものもあるといえる。例えば、カルト系の宗教やネズミ講的な商法、例えば、SNSのいいね!を過剰に欲する状態、例えば、自分の欲求を満たすためだけに「正論」を振りかざす人たち。私たちが何を心から欲しているかをよく分かっていながら、何かを搾取しようと目論む(あるいは、そんな意識がなくとも、搾取している)人はいるかもしれない。
自分の中の2つの器。「存在受容」と「行動指針」に必要な器。一体どんな「他者」を介して、その器「満たされる」必要があるのかについては、一度考えてみてもよいかもしれない。
隣のお部屋は、すずめ踊り(?)の練習だったのか、祭囃子が「対話」の場に響き渡る。時折、建物前の道路では選挙放送が幅を利かせていた。背景の音の大きさで、それぞれの声が聴き取れなくなったので、お互いの話に集中力を使ったのが、印象的であった。いつもより、きゅっとこじんまりした対話の場で、頭フル回転の濃い時間だったように思う。
📚あおぞらの学び舎📚
#あおぞらの学び舎 #あおぞらの輪 #読書 #対話 #哲学 #自分づくり #自分らしく #学び続ける #生涯学習 #学ぶ楽しさ #学ぶ意味 #自己 #自己肯定 #自己実現 #仙台市 #山元町 #川崎町