第20回 活動報告

あおぞらの輪
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【活動報告】第20回 あおぞらの輪

今回で、あおぞらの輪も第20回を迎えることになった。累計36名の方が入会し、平均8名から12名程度の参加者が常時集まってくれている。「本」や「問い」を間に据えた「対話」の場に、少しでも意義を見出してくれただろうか。参加者それぞれが、それぞれの学ぶ動機を携えて来てくれていることが本当に嬉しい。そして、そんな人たちの「輪」の中にいること、そんな人たちと「自分らしい学び」を探求し続けることが、心から楽しい。来てくれた皆さんも、同じ気持ちなのだろうか?いつか、腹を割って話をしてみたい。

「石」のように「ただいる」こと、「ただある」こと。価値や意味、意義のようなものから距離を置いた行為や存在について。そのような話題が何度か私たちの頭の上を通ることになった。
この行動にどんな価値があるのか?この状態にどんな意味があるのか?私の存在意義は何か?
私たちはあらゆる物事に、価値や意味を見出したがる。そして、ようやく当てはまりそうな言葉を見つけると安心する。次第に価値や意味が一人歩きをして、人間の頭を振り回すことになっていく。
「石」のように「ただいる」こと、「ただある」ことができる人って、この世にどれだけいるんだろう?隙間を埋めるように価値や意味を見出し続けた結果、私たちはどうなってしまうんだろうか?昔の人は今ほどこだわっていたのだろうか?どうしたら、「ただある」ことができるようになるだろうか?

風船から手を離すように、価値や意味から一旦手を離す‥、そんなイメージを頭の中で巡らせてみる。
なんかちょっとだけ、楽になる気がする。

もうひとつ個人的に面白かったのは、「大人になること」についての対話。
人間はどの時点から大人になるのか?
大人になるとはどういうことをさすのか?
一般に、この社会での「大人」という言葉は、成熟している、責任感のある、自立している、知性や良識がある、というイメージがある。しかし、対話を重ねていく内に、それは時代が作り上げた共同幻想なのではないか?という疑問が顔を出してきた。(「子ども」もそうか‥)「大人」や「子ども」という区分け自体も、ここ100年の間のことらしいのだ。
実は私たちは、社会の要請によって、「生産や効率」を知らぬ内に求められてはいないか。社会の中で生きていく以上、仕方がないのかもしれないが‥

先ほどの価値や意味を考えてしまう思考の傾向も、「自分で考えている」のか、「時代ごとの社会の要請によって考えさせられている」のか、考えれば考えるほど、その仕切りは不明瞭である。

改めて、「子ども」と「大人」の言葉がもつイメージから離れ、人間が経験や知識を積み重ねると、何を得て何を失うことになるのか?思い込みを外して考えてみてもよいかもしれない。
「大人とは(子どもとは)こうあるべき」という思考の根っこを外して、一旦「人間そのもの」を捉え直してみることから見えてくること(改めて選択し直せること)が山のようにある気がする。

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