第14回 活動報告
【活動報告】第14回 あおぞらの輪
新しいメンバー2人を迎えての活動でした。
毎回新鮮な出会いがいたるところで生まれるので、
主催している側もとても新鮮です!
前半の小グループの活動では、「はじめまして!」の方がいるにも関わらず、楽しげな笑い声や誰かが熱弁をしている声が絶えず聞こえてきました。
⭐「読書の輪」
私の班では、たまたま「愛着障害」や「母子関係」がテーマの作品が並びました。親との関係の歪みによって犯罪に発展してしまったケース、また、歪みを抱えながらも社会のなかで自分らしい生き方を見つけていく物語、そして「愛着障害」と「発達障害」の症状は、外部からの環境要因によって大きく緩和されることも促進されることもある…など。
貴重な気づきに溢れていました。
子どもだけではなく、子育てに奮闘していく「親」も、ちゃんと支える仕組みが必要だということ。改めて、教育・福祉・医療の観点から、立体的に人を眺める必要があることなど、考えてみたいことがさらに出てきました。
⭐「哲学の輪」
テーマは、「現実とフィクションは分けたほうがいいのか??」でした。VRやオンライン空間の発達により、「現実」と「フィクション」の境目がどんどん見え辛くなってしまっている社会の中で、私たちはどのような距離感で「フィクション」と付き合って行くべきか…を考える貴重な機会でした。
辛い現実を日々生き抜かなくてはならない私たちは、頭のなかの想像の世界によって救われる部分が多分にあります。アニメや映画で没頭できる時間があるから、しっかりと頭を休めることができている。また、「あおぞらの輪」という集まりも、みんなの中の共有するイメージがあるから、集まって活動をすることができている。しかし、中には「フィクション」の世界に入り込み過ぎてしまって現実との折り合いが付かなくなったり、また誰かが意図して創作した「フィクション」によって心をコントロールされてしまったり、そんな問題もある。
また、そもそも私たちは、「現実」をそのまま受け取ってはいない。頭と心というフィルタを通し、言葉というツールを通して、認識・発信している。「現実」が確かに起こったとしても、頭のなかの記憶は、自分の都合のよいように形を変えていく。誰かに言葉として語っている時点で「フィクション」を作っているとなると、「現実」と「フィクション」はさらに分けづらくなっていくものである。
最初に、「現実」と「フィクション」の定義を曖昧なままスタートしてしまったが故に、多義的な話し合いになってしまったのだが、この2つの境界線への向き合い方については、それぞれ答えをもつべき問いだよな…と思っている。
📚あおぞら読楽ラボ📚
#あおぞら読楽ラボ #読書 #対話 #自分づくり #自分らしく #学び続ける #生涯学習 #学習塾 #仙台市 #学ぶ楽しさ #学ぶ意味 #自己 #自己肯定 #自己実現
新しいメンバー2人を迎えての活動でした。
毎回新鮮な出会いがいたるところで生まれるので、
主催している側もとても新鮮です!
前半の小グループの活動では、「はじめまして!」の方がいるにも関わらず、楽しげな笑い声や誰かが熱弁をしている声が絶えず聞こえてきました。
⭐「読書の輪」
私の班では、たまたま「愛着障害」や「母子関係」がテーマの作品が並びました。親との関係の歪みによって犯罪に発展してしまったケース、また、歪みを抱えながらも社会のなかで自分らしい生き方を見つけていく物語、そして「愛着障害」と「発達障害」の症状は、外部からの環境要因によって大きく緩和されることも促進されることもある…など。
貴重な気づきに溢れていました。
子どもだけではなく、子育てに奮闘していく「親」も、ちゃんと支える仕組みが必要だということ。改めて、教育・福祉・医療の観点から、立体的に人を眺める必要があることなど、考えてみたいことがさらに出てきました。
⭐「哲学の輪」
テーマは、「現実とフィクションは分けたほうがいいのか??」でした。VRやオンライン空間の発達により、「現実」と「フィクション」の境目がどんどん見え辛くなってしまっている社会の中で、私たちはどのような距離感で「フィクション」と付き合って行くべきか…を考える貴重な機会でした。
辛い現実を日々生き抜かなくてはならない私たちは、頭のなかの想像の世界によって救われる部分が多分にあります。アニメや映画で没頭できる時間があるから、しっかりと頭を休めることができている。また、「あおぞらの輪」という集まりも、みんなの中の共有するイメージがあるから、集まって活動をすることができている。しかし、中には「フィクション」の世界に入り込み過ぎてしまって現実との折り合いが付かなくなったり、また誰かが意図して創作した「フィクション」によって心をコントロールされてしまったり、そんな問題もある。
また、そもそも私たちは、「現実」をそのまま受け取ってはいない。頭と心というフィルタを通し、言葉というツールを通して、認識・発信している。「現実」が確かに起こったとしても、頭のなかの記憶は、自分の都合のよいように形を変えていく。誰かに言葉として語っている時点で「フィクション」を作っているとなると、「現実」と「フィクション」はさらに分けづらくなっていくものである。
最初に、「現実」と「フィクション」の定義を曖昧なままスタートしてしまったが故に、多義的な話し合いになってしまったのだが、この2つの境界線への向き合い方については、それぞれ答えをもつべき問いだよな…と思っている。
📚あおぞら読楽ラボ📚
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