第64回 活動報告

あおぞらの輪
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【活動記録】第64回 あおぞらの輪

 切り出された地層の中に,時代時代の時間の痕跡を見るように。これまでの記録を眺めていると,毎回「色」の異なる出逢いの時間が,確かに一層一層積み重なっていることが分かる。緊張と緩和,雑話と沈黙,逡巡と発見,発散と収束。たとえ似たようなプログラムであっても,決して同一の時間は存在しない。← ココが好き
 時折,これまでの対話の時間が顔を出すことがある。今回の回がそうだった。探索の輪(マインドマップの整理・共有)が終わった後,哲学の輪(哲学対話)が始まるちょっと前。参加者のひとりが過去に出された問いたちの累積から,ひとつの問いを掘り出した。そして知らぬ間に,他の参加者との言葉のやりとりがすでに始まっていた。自然に語り始まってしまう問いとの出逢いは,大変に貴重な出逢い。皆さんに相談したのち,↓の問いを考えることを決めさせていただいた。

❓なぜ出来杉くんは冒険に誘って貰えないのか。

 ドラえもんの映画では,確かに出来杉がいない。どこか弱さを抱える5人(しずかちゃん(原作ではしずちゃん)は,初期はかなりわがままだったらしい)が,冒険のメインを担っている。どんなことでも満点で出来てしまう出来杉くんが,なぜメインメンバーから外れてしまうのか。冒険に誘って貰えないのか。
 そもそも出来過ぎてしまうと(あらゆる困難を簡単に乗り越えてしまうと),物語としての面白みがない。ドラえもんの四次元ポケットが使えなくなってしまったり,しずかちゃんが攫われてしまったり,スネ夫が裏切ったり。ジャイアンが我の強さに振り回されたり,のび太がどうしようもない状況に泣き喚いたり縋ったり。壮大な世界に挑み,様々な困難にぶつかり乗り越える。それぞれに弱さ・脆さを抱えている5人だからこそ,見応えがあるのだろう。
 「のび太の個性を際立たせるための舞台装置としての役割」というある方の発言には,なるほど…と思ってしまった。出来無さすぎるのび太と出来過ぎる出来杉。パラメータMAXの出来杉という存在がいるからこそ,普段ののび太が学校生活の中で感じている不甲斐なさや劣等感が特に際立っている。大好きなしずかちゃんと結ばれてしまう可能性にいちいち動揺してしまう場面も,出来過ぎがいればこそ立ち上がる場面である。通常回における舞台装置としての役割。だから出来杉がいるのではないか,という考えには納得してしまった。
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 ファイルをさらに眺めてみる。場には出されたけど対話の中心にはならなかった,そんな問いたちが確かに存在していた。最後は,そんな問いたちの中で印象的なものをいくつか紹介する。

・(ほんとうに)優しい人とは?
・今,ここにいる理由
・小学校の時に疎遠になった友達の結婚式行く?
・愛はなぜ抽象的になるのか?
・“死について”,死生観,考えたことありますか?
・社会の連帯は薄まっているのか?その源泉は何か?
・気づかなかったことに気づくってどういうこと?
・故郷とは?故郷を大切にしたいと思いますか?
・好きなものは人に教えたい?秘密にしておきたい?
・スマホが私から離れてくれないの
・偽善?善が偽になる?

 何か心に引っかかったものや,思考を進めてみたいものはあっただろうか。個人個人の問いは場に出されることで,全体の共有資産となる。「私が」見ることすら・考えることすらしなかった点に,他の誰かが引っ掛かっている。他の誰かが思考・発見をすでに始めている。この事実が,どうしようもなく面白い。

📚あおぞらの輪📚

#対話 #思考 #関係 #場 #物語