ノートを何で埋めようか?

あおぞらの輪
作成日:
【つぶやき】ノートを何で埋めようか.

 「生涯学習」という名前にすると,なんだか仰々しく,御立派な印象を享ける。人の一生に,「学び」(勉強と呼ばれる,多くの人が「やった方がためになる」「やらなければならない」と思い込んでいる行為)が,どのような影響を与えるのか?「学び続ける」と,人は本当に幸せになれるのか?
 ここ数年の,自身の関心事である。

 私の中の「生涯学習」のイメージは,小学校・中学校の頃に行った,自主学習の宿題と似ている。何も書かれていない1ページを,今日何で埋めるかを決め,漢字や計算,本や図鑑の興味深い部分を写し,だいたい隙間なく埋まったら終わりとする。書くネタがなくなり,テレビをつけながら,半分も集中していない頭で,何か「勉強っぽいもの」で白い部分を埋めていった記憶は,私だけのものではないだろう。

 何も書かれていないまっさらな1ページをどんなもので満たしていくか?私にとっての「生涯学習」のイメージはそんなイメージだ。(みなさんはどうだろうか?)
 あの頃はなんとなく「勉強っぽいもの」が分かっていた。しかし,学校を卒業して,社会のなかに放り込まれた今,この「自主学習」を宿題で出されたらどうだろう?ちゃんと「勉強っぽいもの」を見つけ出せる自信はお持ちだろうか?
 
 学校にいたあの頃は,何で埋めればよいかの基準は親や先生が持っていた。テストで高得点をとるため,〜な力をつけるため,誰かの役に立つため,立派な大人になるため。つまり,勉強することの目的は,自分以外の誰かが持っていた。しかし,今はどうだろうか?何が今の自分(この先の自分)にとって大切で,面白くて,意味があるかは,自分自身で判断しなければならない。

 漢字でノートを埋めることや計算を枠いっぱいに書き上げることが,今の自分(この先の自分)にとって重要なのかを自分自身の頭と身体と心で判断することができないといけない。正解は無限にあるからこそ,とてつもなくたちが悪い。「何をしてもいいよ」という自由の裏には,「やったあとの責任は君もちだぜ」というニュアンスも含まれているように思う。ここでいう「責任」というのは,ノートを埋めたあとの自分の変化に対する責任である。

 あなたは,今日の1ページを何で埋めるか?

 例えば,何か資格をとるために,参考書の重要なポイントを図示などを加えながら,分かりやすく整理したっていい。例えば,自分が実現したいと思っている事業の実現フローチャートを,具体的かつ実現可能な計画を練るために書いていったっていい。例えば,好きな本のなかの印象的な一節を,丁寧かつ美麗な字で書き写していったっていい。例えば,家ではぐうたらで家事や子育てを手伝いもしない旦那の愚痴を,誰にも見つからない白紙の上で,感情の赴くままに書いたっていい。

 もっというと,

 例えば,字ではなく図や絵で描いてもいい。例えば,書いたものが汚すぎて,読み返しても理解できないものであってもいい。例えば,最後まで埋めきらなくてもいい。例えば,未完成や中途半端で,途中で終わってしまってもいい。例えば,何も書かなくてもいいのである。

 さて,困った。どれも楽しそうだし,何かの役にたちそうだ。しかし,どれも意味がないようにも思える。とてもじゃないけどすぐには決められそうもない。今日の私は(あるいは今日のあなたは),自分のなかの何を基準として,「何で埋めるか」を決めればよいのだろうか??