人生の差は、捉え方の差
もし人生とは?と聞かれたら、自分はなんと答えるだろうか?ということを考えてみるとふと、一つの答えが出てきた。
それは「捉え方」だ。捉え方の差が人生の差を作ると思っている。
そして全人類の共通のゴールは幸せになることだという前提に立ったとき、幸せになっている人の捉え方と同じ捉え方さえなれば、自分も幸せな人生になるのではないだろうか?
それは「捉え方」だ。捉え方の差が人生の差を作ると思っている。
そして全人類の共通のゴールは幸せになることだという前提に立ったとき、幸せになっている人の捉え方と同じ捉え方さえなれば、自分も幸せな人生になるのではないだろうか?
捉え方って、、、?
捉え方とは別の言葉で「パラダイム」と呼んだりもするが、その人がどういう風に感じるか、を全て決める大事な要素だと思っている。
例えば財布を無くしたという出来事に対して、「最悪だー」と捉える人もいれば、「こんなに悪いことが起こったのなら良いことが起こるに違いない」という風に捉える人もいる。
出来事は同じだが、それに対しての捉え方は真逆だ。
では、どっちが正しいだろうか?それについてはどっちも正しいという答えになる。
つまり捉え方には正しい、正しくないというのはない。
でも結果は大きく変わる。
例えば、財布を無くして最悪だーと捉える人は1日を不快に過ごすという結果になるが、先ほどの後者の人は良いことはいつ来るんだろう?ってワクワク過ごすことができる。
つまり捉え方の違いが態度の違いを作る。
そして態度の違いがどうなるか?というと行動の違いになる。
そして行動が結果の違いを作る。
つまり捉え方を変えることによって、人生に違いが生まれるのだ。
僕は社会人1年目の時に、今の時間を過ごすことほどリスクな状態はないという捉え方をしていたが、同期は転職や独立なんてリスクがあるからやめておけという捉え方をしていた。
その結果が今の違いになっている。
どちらがいいか悪いかはないが、僕自身にとって人生を幸せにすることができる捉え方だったと今振り返って感じている。
人生の差を作る、自責思考という捉え方
ということで、捉え方の差でこんなに人生の違いが生まれるんだっていうことをわかってもらえたと思うが、その中で幸せに生きている人の絶対的な共通項は自責思考という捉え方だ。
どんな不運な出来事があったとしても、それを含めて自分の実力だったと捉える力がある人は最終的に人生を幸せに生きていると確信している。
逆に、他責で生きている人は、出来事に振り回される人生を送ってしまい、結局ストレスの多い人生になっている気がする。
それなので、人生の早い段階で自責の思考を習慣化することで、長期的に幸せを勝ち取ることができるし、心の安定を掴むことができるのではないだろうか。
この点については絶対的な自信があるので、ぜひ実践してもらえると嬉しい。