
神回!『人間失格』読書会
読書会アパート3号室の課題本は、新潮文庫の累計発行部数の順に選んでいます。
第1回は夏目漱石『こころ』、第2回は『人間失格』ということで、上位作品はすでに終了していました。
が、新規メンバーが増え、上位作品でまた読書会をやってほしいという声が上がるようになりました。
そこで始まったこの「じっくり読書会」。
過去の課題本をもう一度取り上げるというリベンジ企画です。
第1回は夏目漱石『こころ』、第2回は『人間失格』ということで、上位作品はすでに終了していました。
が、新規メンバーが増え、上位作品でまた読書会をやってほしいという声が上がるようになりました。
そこで始まったこの「じっくり読書会」。
過去の課題本をもう一度取り上げるというリベンジ企画です。
前回の読書会
リクエストが多かった『人間失格』を課題本に、先月開いた読書会では、2つのグループに分かれて、感想を話し合いました。
読書会が終わっても、参加者それぞれの中に「語り足りない」思いが湧いてきて、「もう一度語る場を」という声が上がりました。
そんな流れで、同じ本をテーマに、再び集まるという、異例の2回連続開催に。
参加人数は、主催者を含めて12名。初参加の方はそのうち2名。
2回目ということもあるので、簡単に自己紹介をしていただき、すぐに感想タイム。
もう一度読み返した、という声も多く、先月からどっぷり『人間失格』の世界に浸かった1ヶ月を過ごしてきたようです。
また二つのグループに分かれて、一人ずつ改めて感じたことを話していただきました。
参加者の感想
【Aグループ】参加者の声
・太宰の遺書のように思えた。葉蔵は繊細で弱いけど、自分の弱さをひたすら手記として書き、向き合っているところがある意味強くもある。太宰は病んでいたからこそ、常識や世の中への違和感を文学に変えられたのかもしれない。
・葉蔵は「純粋無垢な神格化された人間」と「世俗的な人間」の二つに分けて見ていたのでは。道化を演じながらも人間に縋っていたのは、神のような存在に憧れていたからかも。どちらにもなりきれなかった自分を廃人だと思ったのかもしれない。自分の書いている私小説とも重なる。病んでいるときほど読みたくなる作品。
・葉蔵よりも周囲の人間たちの不協和音が気になった。最後にバーのマダムが「お父さんが悪い」と言ってた通り、葉蔵の父親は物だけ与えて心を支えなかったせいで、葉蔵は自分の力を実感できなかった。弱さをさらけ出す姿は、放っておけない存在で女性にモテるのも分かるけど、だからこそボコボコにしたい気持ちも湧いてくる。自分の知らなかった弱さを突きつけられる怖い本だった。
・葉ちゃんの行動は理解はできるけど共感はできない。太宰がこの作品発表の途中で自殺したことと物語が切り離せないことに引っかかっている。破滅的な人生を笑って包み込んであげる誰かがいてもいいんじゃないかと思ってしまう。笑えるフレーズも多く、『人間失格』というタイトルはあまりにもだと思う。葉蔵はむしろとても人間らしい。
・読んでいて刺さりすぎて痛かった。自分と重ねてしまった。小さい頃から変わらない感性や、周囲の期待に応えようとする気持ち。葉蔵も同じだったんじゃないか。自分も父とのわだかまりはあったけど、母に救われた。時代は変わっても、ギリギリのところで生きている人は今もいる。もし太宰が現代に生きていて、救われていたらどうなっていただろう。本人にとっては破滅的な生き方しかできなかったかもしれないけど、それがドラマを生んでしまうのもまた事実。
【Bグループ】の感想まとめ
・葉蔵の人生に幼少期の影響がどれほどあるのかについて疑問が出た。
・堀木は葉蔵を堕落に導いた諸悪の根源ではないかという声があった。
・「犯される」という言葉の意味や、よしこの身に実際に何が起きたのかを考えた。
・太宰にも堀木のような影響を与える人物がいたのではないかと推測した。
・葉蔵の「ちゃっかり性」に対してどう感じたか、という視点があった。
・「津軽御託」という表現に注目が集まり、寒い土地柄からくる寡黙さや、家庭内で話を膨らませる地域性がユーモア表現と関係しているという話になった。
・堀木はメフィストフェレス的な存在で、葉蔵にとっての“必要悪”であった。実はもうひとりの太宰なのではという解釈も出た。
・堀木のような存在を通して、自分の悪を他者に投影することで自分を肯定しようとしていたのではないか。
・「自分の物語に感じるか?」という問いには「一部共感できる」との声が多く、特に母性・父性や自己の芯のなさについての共通点が語られた。
・道化を演じることは現代人にも共通しており、社会を生き抜くためのスキルでもあると考えられた。
・葉蔵がイケメンでなければ女性に助けられることはなかっただろうし、それがなければ自立できたのではという意見が出た。
・結婚前に読んでおきたかった作品だという声もあり、親からの愛着がその人の人生に与える影響の大きさを考えさせられた。
・太宰自身もアダルトチルドレンや愛着障害を抱えていたのではないか。現代のように情報があれば、もっと生きやすかったかもしれないという意見が出た。
フリートークで深掘り
一人ひとりの感想を聞いた後は、フリートークで作品の読み方を深めていきました。
葉蔵が服薬自殺を図り、目を覚まし、「うちに帰る」と言った場面が印象に残ったという方が多くいました。葉蔵にとっては、無条件に安心できる場所である“うち“がどこにも存在しなかった。幼少期から道化を演じて生きてきて、ずっと言えなかった本音が、極限状態になって、子どもに戻ったような気持ちになったからこそ、純粋な言葉として噴き出したものなのではないか。
マダムについての意見も多く交わされました。彼女が葉蔵から手記を託されたのは、なぜかという問いに対して、さまざまな考察がありました。
彼女は中性的な存在で、他の女たちと違って、葉蔵と色恋の関係にないこと、そして、関係が浅く、葉蔵のことを深く知らなかったからではないかという意見がありました。
つまり、マダムは葉蔵にとって“アウトサイド“の存在であり、神格化もされておらず、世俗とも一線を画した特異な人物だったという考察です。
さらに、キリスト教に親しんだ太宰が、彼女を「聖母」的存在として描いた可能性も指摘されました。
家族や兄の存在についても話題に上りました。葉蔵の兄は、経済的には支えていたが、父親の代理のような立ち位置で、精神的なつながりは薄かったのではないか。
体裁を守るために兄を経由して金銭を送る父親の存在からも、家庭内の断絶が感じられるという声が上がりました。
そして、誰かを信じたいけれど、信じることそのものが罪や危険に感じられてしまう。そうした感覚が、葉蔵の人間不信と表現欲求の根底にあったのではないかーーーそんな気づきも共有されました。
まとめ
今回の読書会では、前回には出なかった視点や、再読によって生まれた新たな感想が次々と飛び出しました。
「他の人の意見を聞くのが楽しい」「時期を置いて読むと、自分の感じ方も変わっていた」「気になっていた部分を深掘りできた」など、2回目ならではの発見があったという声が多く聞かれました。
また、堀木や家庭環境について語れたこと、ユーモアや津軽の地域性に触れられたこと、自分にとってこの作品がどう刺さるのかを改めて考えられたことーー。
一人では辿り着けなかった読みの奥行きを、みんなと語り合うことで開いていくような時間になりました。
初めて参加してくださった方の「読むというのは、実はとてもクリエイティブなことなんだと思った」という言葉が印象に残りました。
何度読んでも、何度語っても尽きない『人間失格』という作品。
時をおいてこの作品に向き合ったとき、自分の中にどんな変化が起きているのかーーー。
いつかまた、語り合う時間を持てればと思いました。
ご参加くださった皆さん、ありがとうございました!
過去の読書会で、一番深く、熱い回となりました!文句なしの神回!でした!
次回「じっくり読書会」は7月。
夏目漱石『こころ』を課題本にして開催します。
夏目漱石『こころ』を課題本にして開催します。
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