第5回寺社仏閣めぐり活動報告

京都!奈良!寺社仏閣めぐり
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皆さまこんにちは!
第5回目の寺社仏閣めぐりを12名の方にご参加いただき1月8日(日)に開催しました。
今回のコースはこちらです💁‍♂️

JR京都駅集合〜綜芸種智院跡(弘法大師空海が開いた私立学校)〜ここから真言密教の聖地東寺〜五重塔(高さ日本一)〜金堂(薬師三尊像)〜講堂(弘法大師の密教の教えを表現する立体曼荼羅)〜御影堂(弘法大師空海がお祀りされています)〜観智院(国宝の客殿 宮本武蔵ゆかりの寺院 宮本武蔵筆鷲の図)ここまで東寺〜お昼ごはんWholeDeli(台湾料理)〜梅小路公園〜旧二条駅舎〜ここから島原〜角屋(江戸時代の社交場)〜輪違屋〜島原大門〜島原地区を抜け〜壬生寺(唐招提寺に属する律宗のお寺)〜八木邸(新撰組発祥の地)〜本能寺跡(本能寺の変はここで起こりました)〜二条陣屋(大名上洛時のお宿 からくり屋敷)〜神泉苑(平安京遷都と同時期に造営された天皇のためのお庭)〜二条城(江戸時代の始まりと終焉の地)〜御金神社(資産運用の神様💰)〜烏丸御池駅解散

それではブログへどうぞ。
京都駅を出席後、まずは弘法大師空海が平安時代に開いた私立学校、綜芸種智院に行きました。綜芸とは各種の学問という意味で、総合的に学問を学べる学校のことです。現在は種智院大学として引き継がれています。

次に、訪れたのは平安京の唯一の遺構、東寺へ。こちらは皆さまご存知の通り、弘法大師空海によって開かれた東寺真言宗総本山のお寺です。空海といえば中国に留学され、日本に真言宗を広められた方ですが、高野山を思い浮かべる方も多いと思います。

東寺の御詠歌に「身は高野、心は東寺に納めおく、大師の誓いあらたなりけり」というものがあるそうです。弘法大師空海は高野山に行かれる前、東寺で教えを広められ晩年は高野山でお過ごしになられました。

まずは御影堂(国宝)で弘法大師空海にご挨拶。
こちらは空海がお住まいになられていた住房で、中には空海の像(国宝)が安置されており、毎朝6時、空海に朝ごはんをお出しする生身供(しょうじんく)が行われています。
また、弘法大師空海の念持仏、不動明王像(国宝)も安置されております。
ちなみに、作家の司馬遼太郎さんは京都でご友人とお会いになる際はこちらの御影堂の前で待ち合わせされたそうです。平安京唯一の遺構である東寺で待ち合わせすることが、京都をめぐるには相応しいとお考えになられていたとのことです。皆さまもいかがでしょうか?

さて、空海聖人にご挨拶をした後は、日本一の高さを誇る五重塔(国宝)へ。現在の塔は5代目で1644年に再建されたもので、高さは55mあります。五重塔はお釈迦さまの仏舎利を納める建物で、この日は京の冬の旅の特別公開により、初層内部に入ることが出来ました!内部は曼荼羅の世界が表現されており、心柱が大日如来になっています。

ちなみに日本で2番目に高い五重塔は奈良の興福寺の五重塔で高さが50.1m3番目に高い五重塔は京都の八坂神社の南にある法観寺の五重塔で高さは46mあります。
 
さて、次に訪れたのは東寺の本堂にあたる金堂(1603年建築 国宝)です。堂内にはご本尊の薬師如来像がおまつりされており、脇侍として日光菩薩、月光菩薩が安置されています。
薬師如来像はお名前のとおり病気を治してくれる仏様で、薬壺をお持ちにならない古い形式の薬師如来像となっています。
 
続いて、金堂の北側にある講堂を参拝させていただきました。
講堂の中には21体の仏様がおられ、弘法大師空海が密教の曼荼羅を立体的に表したものと言われております。21体の仏様の内、15体は講堂創建当初(839年)からいらっしゃる仏様で国宝に指定されています。
 
その後、東寺の塔頭の一つ観智院(東寺の勧学院)にて宮本武蔵が描かれた「鷲の図」と「竹林の図」を拝観した後、お昼ご飯の台湾料理「Whole Deli」にて美味しい台湾料理をいただきました。
 
さて、お昼休憩を挟み、梅小路公園を抜け島原地区を通り、京都では珍しい律宗(総本山は奈良の唐招提寺)のお寺壬生寺へ行きました。壬生寺といえば新撰組が訓練場として使用されたことで有名で、お寺の隣接地には屯所となっていた八木邸があります。
 
さあ、まだまだ続きますよ。
その後一行は本能寺跡を見物し、江戸時代大名が京都に来た際の宿泊施設「二条陣屋」の前を通り、平安時代天皇の宴遊地だった神泉苑へ行きました。二条陣屋は敵に襲われた際に要人を逃がすことが出来るよう様々な「からくり」が施されていますので、また興味のある方は見に行ってみて下さいね。また、神泉苑は東寺の空海と西寺の守敏が雨乞い対決を行い、空海が勝利したことで知られており、龍の神様「善女龍王」がお祀りされています。
 
次に訪れたのは神泉苑の北側にある二条城です。江戸時代は二条城に始まり二条城に終わると言われていますが、1611年徳川家康と豊臣秀頼の会見が二条城で行われ、江戸時代が終わる大政奉還も二条城で行われました。その中心的な建物となるのが、二の丸御殿(国宝)で、中には狩野派の絵師達による立派なふすま絵の数々が飾られています。エントランスにあたる「車寄」から入ると「遠侍」「式台」「大広間」と続きますが、このあたりまでは虎や大きな松が描かれており、とても威圧的な感じがします。こちらは徳川家の威光を訪問者に示すためと言われており、落ち着かない印象を受けます。しかし「蘇鉄の間」と呼ばれる廊下を過ぎ「黒書院」「白書院」に入ると一転して、花や風景など和やかなふすま絵に変わり、重臣や女性達の居住を想定したお部屋となります。
また、二の丸御殿の前に広がるお庭は「二の丸庭園」と呼ばれ、全国に36件しかない「特別名勝」の一つです。小堀遠州の代表作として知られる池泉回遊式庭園で池の周りを歩きながら風景の変化を楽しむことが出来るお庭です。その際どの方向から見ても素晴らしい景色が広がることから「八陣の庭」と呼ばれています。
 
さて、いよいよ最後の訪問地である「御金神社」へ行きましょう!
この日は1月8日だったのですが、行ってびっくり大行列!境内に入りきらない参拝者の列が200m以上は続いていたと思います。何故こんなに大人気なのかと申しますとお祀りされているのが「お金」の神様だからなのです。本来は金属の神様として個人の邸宅内でお祀りされていたのですが、参拝したいという方が多く、明治16年に現在の一般公開される神社形式になりました。周辺には両替町や釜座通りなど金属に縁のある地名もあり、いつしか金属からお金にも御利益があるとされ、金運招福の神様として大変有名になりました。入り口の鳥居は金箔が施されており、とても御利益がありそうな感じがします。
皆様もぜひ行ってみて下さいね。
 
それでは、このあたりで第5回寺社仏閣めぐりの活動報告を終わらせていただきたいと思います。
長文をお読みいただき、ありがとうございました。