
そのキャスティングに根拠はありますか?
キャスティングが演出の8割
19時22分、あなたの人生が変わる瞬間が始まる
「失うのが一番怖いものは何ですか?」
この問いに、リクさんは「天文座のある生活」と答えた。毎日19時から22時、演劇に捧げる神聖な時間。それが消えたら、彼は何を軸に生きればいいのか分からなくなる。
就職先を名古屋から大阪に変えてまで演劇を選んだ参加者。稽古のために友人との約束を断り続ける日々。「演劇がなくなったら、何を決めればいいのか分からない」という告白に、創造者の業が滲む。
小松あいさんは「声」と答えた。声を失えば演技もできず、人を励ますこともできない。「人生をそうした気持ち」——表現者として生きることへの、静かで激しい覚悟。
これらは皆「漠然とした不安」だ。明確な脅威ではない。だからこそ深く、持続し、創造の炎を燃やし続ける。
扁桃体が叫ぶとき、前頭前野が囁くこと
演劇×脳科学。この禁断の組み合わせが、演技論を根底から変える。
恐怖:目の前のナイフ、迫る車、崩れる足場。扁桃体が火災報知器のように鳴り響き、体は逃げるか戦うかを選ぶ。瞬間的で、強烈で、生死を分ける。
不安:明日の試験、来月の面接、10年後の自分。対象は曖昧で、時間は無限に引き延ばされ、心は宙に浮いたまま答えを探し続ける。
俳優よ、あなたが演じるその感情は恐怖か、不安か?この問いが演技に革命をもたらす。扁桃体の叫びを聞き、前頭前野の制御を感じ、ノルアドレナリンとセロトニンとGABAの繊細なダンスを身体で表現する。
森本演出家は語る。新しい脚本に取り組む今、自分は「パニックゾーンとラーニングゾーンのギリギリ」にいると。恐怖もある。でも、めちゃくちゃ面白い。
これが創造者の宿命だ。コンフォートゾーンという安全地帯を捨て、未知の領域で新しい自分と出会う。
あなたの声が、物語の一部になる瞬間
「あなたが書くまで、何も始まらない」
この公演は、観客という概念を破壊する。
劇場に足を踏み入れた瞬間から、あなたは物語の共創者になる。ロビーの録音ブース。そこであなたは問われる。
「『おかえり』をどんな気持ちで言いますか?」 「最も大切な約束を思い出して、『約束だよ』と言ってください」 「あなたの物語の最初の一言は?」 「終わりと聞いて、何を思い浮かべますか?」
そして配布される台本に、あなたは書き込む。「この10年で失ったものは何ですか?」
あなたの声、あなたの言葉、あなたの記憶。それらが25名の演者と絡み合い、新しい物語を紡ぐ。参加は任意だ。でも一度体験したら、二度と同じ人間ではいられない。
宮本という人物の機械的な終了告知で始まる物語。「忘れられた記憶」「失われた言葉」「物語の終わりを決めるのは自分」。心臓の鼓動と鉛筆の音が響く中、喪失と再生のドラマが展開される。
「しんどい思いをしてもらうけれど、いい顔で帰ってもらいたい」森本演出家の願いが、劇場という聖域で現実になる。
キャスティングという神の仕事
「キャスティングが演出の8割。演出家の全責任が問われる唯一の場所」
森本演出家の言葉に、創造者の孤独が響く。俳優との共同作業ではない。根拠を持って決める、究極の個人的判断。
リクさんのチームに「根拠がないだろう」と指摘する厳しさ。小松あいさんのチームを「最短距離で、明確なイメージを伝える天才」と称賛する眼差し。
最初にビジョンを共有し、後半で俳優の熱量に合わせて微調整する。これが理想の演出だ。でも理想を現実にするのは、演出家の覚悟だけ。
7人組のグループワーク。相手を褒める練習。恐怖と不安の境界線を歩く実験。すべてが「あなたが書くまで、何も始まらない」という究極の挑戦への準備なのだ。
限界の向こう側で待っているもの
この演劇は、あなたを変える。
観客席に座るあなたは、もはや安全な傍観者ではない。あなたの人生の断片が舞台で息づき、他の観客の記憶と溶け合い、演者の魂と共鳴する。
「認知再構成」という心理学の技法が教える。「なぜ失敗が怖いのか?」と問い詰めることで、恐怖の正体が見える。パニックゾーンから脱出する道筋が見つかる。
暴露療法が示すように、恐れているものに段階的に向き合えば、それはもはや恐怖ではなくなる。劇場で起こるのは、まさにこの奇跡だ。
森本演出家が感じる「怖さ」と「面白さ」。参加者たちが語る「失ったら怖いもの」。観客が録音ブースで吐露する感情。すべてが一つの物語に収束し、新しい現実を生み出す。
劇場を出るとき、あなたは確実に「いい顔」をしている。なぜなら、あなたはただの観客ではなく、新しい物語の作者として、かけがえのない創造体験を手にしているから。
「あなたが書くまで、何も始まらない」
でも一度書き始めたら、もう止まらない。物語は永遠に続く。あなたの中で、あなたと共に。