なぜ舞台に立つと普通のことができなくなるのか? 〜演劇界の革命児が教える「心のブロック」を外す方法〜

劇団天文座
作成日:
稽古日2025年7月19日

舞台の上で「見られている」という意識がなぜこれほどまでに私たちを縛るのか。日常では何気なくできていることが、なぜ舞台上では突然できなくなってしまうのか。この日の稽古は、そんな演劇の根本的な謎に挑む、まさに「精神と時の部屋」のような濃密な時間となった。


SNSという現代の舞台装置

稽古は現代的な話題から始まった。SNSの戦略的価値について語られる中で、「情報を発信していなければ誰にも知られることがない」という言葉が印象的だった。SNSは「資産」であり、株と同様に「早いうちから資産形成していた方が、自分のやりたいことをやる時に応援してくれる人は増える」。この現代的な視点は、後に展開される演劇論の土台となる重要な洞察だった。


演技指導の系譜 - 巨匠たちが遺した宝

続いて紹介されたのは、演技指導の巨匠たちの系譜だった。


スタニスラフスキー
は「全ての始まり」として演技指導を体系化した。サンフォード・マイズナーの「マイズナー・リペティション」は、相手の反応に対して同じ言葉を繰り返すことで、頭で考えるのではなく「素直に相手に意識を向ける」技法だ。ステラ・アドラーが最も重視したのは「想像力」。メイエルホルドは「体」に焦点を当て、「動きの4つの元素」(意図、実行、反応、印象)を通して身体表現を追求した。そしてリー・ストラスバーグの「メソッド演技」は「感情的記憶」にフォーカスする。


これらの理論家たちが築いた土台の上に、この日の主役が登場する。


グロトフスキの革命 - 「貧しい演劇」という名の豊かさ

イエジ・グロトフスキ(1933-1999)
。この名前を聞いた瞬間、稽古場の空気が変わった。「20世紀の演劇界に革命的な影響を与え、実験演劇の父と称されている」彼の理論は、まさに演劇の概念を根底から覆すものだった。


「貧しい演劇」の真実

グロトフスキが提唱した「貧しい演劇(Poor Theater)」は、単なる節約術ではない。当時の演劇が映画やテレビに対抗しようとして豪華な装置や照明に頼りきっていることへの痛烈な批判だった。


彼は言った:「俳優と観客という2つの本質的な要素さえあれば演劇は成立する」


この「貧しさ」は、実は**「演劇をその核心へと浄化するプロセス」**を意味していた。つまり、不要な装飾を削ぎ落とし、俳優と観客の間の直接的な関係性だけを追求すること。それは「観客に考えさせる」ブレヒトの思想にも通じる、深い哲学だった。


俳優は中心的存在として、その「体」が主要な表現手段となる。彼らは自身の体と声のみを用いて、音響効果、セット、衣装の効果を生み出すことを求められた。小道具も一つで何役もこなし、椅子がベッドになったり、布が海になったりと、想像力によって意味を変容させる。


日本の演出家である**唐十郎の「特権的肉体論」**も、派手なセットを使わず手作りの小道具が意味を変える点で、グロトフスキの影響を受けている可能性があると指摘された。


「否定の道」- 制限という名の解放

多くの演技法が「こうしなさい」と特定のスキルを教えるのに対し、グロトフスキの「否定の道(Via Negativa)」は全く逆のアプローチを取った。俳優の表現力を邪魔している「心身のブロック」を取り除くことを目的としたのだ。


これは革命的な発想だった。**「日常生活で当たり前にできていることがなぜ舞台の上でできないのか」**という問いに対し、その心身のブロック(リミッター)を取り除くことで舞台上でも日常と同様に表現できるようにする。天文座の考え方にも近く、講師は「自分に許可を出す」ことを目指していると語った。


舞台上で「見られている」という意識がブロックとなることが指摘され、日常生活では他人に「見られている」ことをいちいち意識しないこととの対比が示された。この洞察は、後の実習で参加者たちが直面する課題の核心を突いていた。


自己犠牲という名の芸術

グロトフスキの訓練は、社会的な仮面や日常的な習慣を取り除くため、**「極めて過酷な身体的・精神的エクササイズ」**で構成された。これは「アントナン・アルトーの残酷演劇の思想」にも影響を受けており、精神的・身体的に負荷をかけて頭で考える余裕をなくし、本能的な反応を引き出すアプローチが共通していた。


俳優は単に役を演じるだけでなく、**「自己を完全にさらけ出す自己犠牲」**を通じて「トータルアクト」の達成を目指した。これはスタニスラフスキーの身体的行動メソッドから影響を受けつつ、さらに発展させたものだった。


パラシアトリカル - 演劇の向こう側へ

1970年頃から、グロトフスキの関心は従来の劇場での作品上演から離れ、**「パラシアトリカル(演劇の向こう側)」**と呼ばれる新たな段階へと移行した。


この時期は、俳優と観客という区別を設けず、参加者全員が共同で体験を創造する、よりオープンな活動が特徴だった。講演活動を停止し、ワークショップや森の中での集団的イベントを通じて、人間同士の根源的な出会いや交流の可能性を探求した。


これは現代の**「体験型、参加型の演劇」に通じる考え方**であり、唐十郎や鈴木忠志といった「アングラ演劇」の旗手たちの実践とも重なる。


天文座も「小劇場」をコスパの悪さや一般の方の入りにくさから避け、「ホール」や稽古場での配信といった場所で活動することで、一般の人に開かれた劇団であることを目指している点で、パラシアトリカルに通じる部分がある。


アートアズビークル - 魂の乗り物としての演劇

1980年代半ば以降、グロトフスキは「アートアズビークル(乗り物としての芸術)」という探求の最終段階に入った。これは、演劇やパフォーマンスを美しい作品として鑑賞するためではなく、**「演じる者(パフォーマー)が自己のより高い意識の状態へと到達するための乗り物」**として用いるアプローチだった。


この思想は天文座の考え方とまさに合致する。天文座は「すごくめちゃくちゃいい作品を発表すること」だけを目的としているのではなく、「日々、自分の人生、自分とは何か、自分の目的は何か、どう生きていきたいのか」「より高い意識の状態へと持っていくための手段」として演劇がある。


講師は、この過程が「メタルスライムを狩る」ようにレベルアップする場であり、「精神と時の部屋」のように濃密な成長の機会であると比喩を用いて語った。


「垂直性の探求」として、日常的な「水平的意識」(いつものパターンの考え方や行動)を超え、「より高次の、あるいは深層の意識」へ向かう動き。普段の「コンフォートゾーン」を飛び越えることを指す。伝統的な歌や振動がその足がかりとなり、「人間の精神的、霊的な成長」のための実践的な技法へと昇華される。


グロトフスキの遺産と天文座の特殊性

グロトフスキの遺産として、「貧しい演劇」「否定の道」「パラシアトリカル」「アートアズビークル」がまとめられた。彼は特定のマニュアルというよりも、**「演劇とは何か、人間とは何かを絶えず問い続けるラディカルな姿勢そのもの」**を残した。


天文座は、劇場にこだわらず、他の劇団との「横の繋がり」を一切重視しない(むしろ断ち切った)という点で特殊な劇団だ。これは、演劇業界内での循環ではなく、**「一般の人に開かれた劇団」**としての使命を果たすためである。


言葉の錬金術師 - 内なる世界を外に向ける技術

この日のもう一つの柱は、**「言葉の錬金術師」**というセッションだった。言語化とコミュニケーションの訓練は、まさに内なる世界と外なる世界を橋渡しする魔法のような技術だった。


言語化という現代の課題

「言いたいことがあるのに言葉にできない」「就職活動で自分の強みが言えない」「友達との議論で言いたいことを忘れてしまう」。これらの悩みは、現代人が共通して抱える課題だ。


しかし講師は力強く宣言した:言語化は「才能」ではなく「習得できる技術」である。


内言と外言 - 思考の秘密

私たちの思考の多くは「内なる会話」(内言)で進行しており、それは省略された形で存在する。頭の中では「あれがこうで、だからあーなって...」といった具合に、主語や説明が飛び飛びになっている。それを「外」、つまり他者にも理解できる完全な文章に翻訳するのが「外言」だ。


この概念は、俳優の仕事の本質を照らし出す。一般的な人が内言を外言にするのが難しいのに対し、俳優は既に外言化されたセリフ(言葉)から、その背景にある内言(サブテキスト)を読み解く作業が求められる。言語化能力が俳優にとって不可欠である理由がここにある。


実践的な技法

フリーライティング
: 「紙とペン」を用いて10分間、手を止めずに書き続ける訓練。何でもよく、書くことがなければ「書くことがない」と書く。文法も気にしない。


目的は、「ワーキングメモリーという思考の作業台」の容量を軽くすること。頭の中だけで考えようとすると限界になる思考を、紙に書き出すことで「考える負担を軽く」し、より深く考えられるようにする。これにより、普段意識していない「内言の豊かさ」に気づくことができる。


構造化
: フリーライティングで書き出した内容を読み返し、似た内容をグループ分けし、タイトルをつけ、それらの関係性を考えることで、思考の断片を「一つのストーリーとして繋げていく」。人間は「筋道立ったストーリー」の方が理解しやすく記憶しやすい。


表現力の向上
: 感情を「嬉しい」だけでなく、「晴れやか」「安堵した」「満足した」など、より詳細な言葉で表現すること。言語学者のサピアとウォーフの説が引用され、言葉が心の解像度を上げる役割が指摘された。


言語化の治癒力

心理学者のテネベイカーの研究が引用され、困難な感情や辛い経験を言葉にすることに「治癒力」があると説明された。心の中に押し込めていると心理的な負担になり続けるが、言葉にして書いたり話したりすることで、混乱した経験が整理され、「意味のある物語」に変わる。


言語化によって「ワーキングメモリー」が解放され、他のことに集中できるようになり、客観的に自分を見つめ直すことができるようになる。


言語化の深い意義

言語化は単に相手に伝える技術ではない。**「自分自身を発見し、理解し、他者と繋がるための技術」**なのだ。自分の感情や思考を言葉にできることは、「自分を大切にできる」ことでもある。自分を理解できれば相手のことも理解できるようになり、コミュニケーションの質が変わる。


言語は「内なる世界と外なる世界を橋渡しする技術」であり、自分の中の「宝物」(思考、感情、アイデア、経験)を「言葉という形」に変えて世界と分かち合うこと。


言いたいことがあるのに言葉にできないのは、「あなたが成長しようとしているサイン」でもある。


実践の場 - 理論が血肉となる瞬間

フリーライティング演習

配られた台本(「言葉の錬金術師」の台本)について、5分間のフリーライティングを実施。その後一人1分で「この物語をやってどうだったか」を発表した。


参加者からは、言語化の難しさや、書くことで思考が整理される感覚、内言の豊かさに気づいた経験が共有された。特に、書くことが「残る」ことへの抵抗感や、自分の考えが客観視できるようになる点、心理療法と演劇の共通点など、様々な視点からの気づきが語られた。


演技実習「レモン」- 抽象と具象の狭間で

参加者はAチームとBチームの2グループ(各5名)に分かれ、それぞれのチームで演出家を立て、役割分担(キャスティング)、セリフを覚えることを課された。


与えられた台本は**「レモン」という象徴的な果実を中心とした抽象的な内容**で、感情の抑圧と解放、内面の混乱と整理、世界の再起動といったテーマが込められていた。


制限時間45分で通し稽古を行い、両チームが発表を行った。


演出家たちの学び

Aチームの演出家は、いかに「分かりやすく簡潔に伝えられるか」の難しさを痛感し、特に経験の浅いメンバーへの配慮の重要性を学んだ。


Bチームの演出家は、俳優陣がアイデアを出してくれることの助けになったこと、そして最初に「平場風」という明確な方向性を示したことで、意見が出やすくなったことを報告した。


講師からの的確な指摘

Aチームの演出家に対しては、限られた時間の中で「セリフを覚えて通すこと」を目的とするならば、段取りやキャスティングの決定を優先すべきだったと指摘し、「どこに舵を切るか」の判断の重要性を強調した。


俳優の緊張は演出家の不安が伝播することもあると指摘し、演出家の立ち振る舞いの重要性も触れられた。


参加者たちの勇気ある挑戦

演技実習を振り返り、参加者からは緊張や難しさが語られたが、講師は励ました:「回数が少ないから緊張しているだけ」「積み重ねていけば慣れて楽しくなる瞬間がある」。


「今できていないからダメだと思う必要はなく、これから長い旅がある」として、継続的な成長への期待が示された。


総括 - アウトプットという名の勇気

稽古の最後には、インプット(知識を得ること)だけでなく、アウトプット(実際に試して使えるかどうかの経験)が非常に重要であると総括された。自分自身の改善点や良かった点を体感するためには、実際に演出するなど行動を起こすことが不可欠である。今回の稽古を通じて、お互いの新たな一面を知る機会にもなった。


この日の稽古は、演劇という表現活動が、個人の内面を掘り下げ、他者と深く繋がり、人生を豊かにするための「乗り物」であるという、天文座の根底にある哲学を、様々な角度から体験し、深く理解する一日となった。


グロトフスキの「貧しい演劇」が示した道は、決して貧しくなどない。それは人間の魂の最も豊かな部分へと向かう、勇気ある旅路なのである。そして「言葉の錬金術師」の技法は、その旅路で出会う宝物を、他者と分かち合うための魔法の杖なのだ。


天文座の稽古場は、まさにそんな魔法が日々生まれている場所である。