THE FALL OF GREAT STAR

EL⚽GOLAZO
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ドイツフットボール界の皇帝、墜つ
 
先日、深夜、スマホ片手にネットを観ていたら・・・驚きのニュースが掲載されていて目を疑った。
 
フットボール界に激震が走った。『フットボールの巨星がまた一つ、墜ちてしまった』
 
2024年1月7日
オートストリア・ザルツブルグにて
ドイツの皇帝(カイザー)と呼ばれ、バイエルンミュンヘン、ドイツ代表で、偉大なプレーヤーだった、フランツ・ベッケンバウアーが逝去されました(泣)
ドイツが生んだ最高のプレーヤーであり、最高の監督、ドイツの栄光は彼と共にあると呼ばれた男。

世界中のフットボーラーが憧れた最高のプレーヤーでした。(自分もかなり影響を受けました)
 
プレーヤーとして1974年のW・CUPを制覇し、監督としても1990年のW・CUPを獲得
プレーヤー&監督として、W・CUP制覇した人物は3人しかいない
(ブラジルのマリオザガロ、ドイツのベッケンバウアー、フランスのディディエ・デシャン)
 
主なタイトル
★W・CUP優勝1回(1974)、W・CUP準優勝1回、(1966)W・CUP3位1回(1970)
★バロンドール2回獲得(1972.1976)
★ブンデスリーガ3連覇
★UEFA☆チャンピオンリーグ3連覇
★ドイツ年間最優秀選手賞4回(1966・1968・1974・1976)
 
リベロシステムを確立したプレーヤーであり、守備のみならず、DFラインから正確なパスを繰り出して
攻撃の起点なった。また機を観て攻撃参加して決定的なパスを繰り出し、得点に絡む活躍を信条とする
プレーヤーだった。
 
少年時代、成績表に『運動の素質はありません。勉強の方で頑張ってください』と評価された少年は
W・CUPに3度出場し、優勝1回、2位、1回、3位、1回と全ての大会で好成績を収める偉大な『皇帝』と成りあがった。
 
皇帝の愛称はオーストリアを訪れた時に皇帝フランツ1世の銅像と記念撮影した事をきっかけに
フランツ~皇帝(カイザー)と呼ばれるようになったらしい。
 
『アステカの死闘』と呼ばれた1970W・CUP 準決勝 イタリア戦
相手選手の強烈なタックルに襲われて・・フランツは右肩を脱臼・・・
それでも『不屈のゲルマン魂』で最後まで戦った・・残念な敗戦。
フットボール史に残る稀に見る伝説の激闘。
 
卓越した読みでパスをインターセプトし守備でもピンチを救い、DFラインからは長短の正確なパス操出し
味方を使いながら後方からゲームメイク、カーブやバックスピンをかけたパスは芸術の域に達した。
自陣ゴール前でもリフティングしながら危険を回避したプレーを魅せた。
右足アウトサイドから繰り出す魔法の様な柔らかい『ベルベットパス』も憧れましたね。
 
伝説の1人時間差的なバックスピンからの1人スルーパスなどは憧れて・・何度か習得したいと思い
練習したものでした(笑)
 
日本フットボールの父と呼ばれるクラマー氏とは師弟関係で
ドイツユース代表に選出されたときに公私共に指導を受けている。
 
17歳の時に女性問題が公になった時にクラマーに擁護してもらい
クラマーがベッケンバウアーの教育係になるという事で周囲を納得させる形で批判を抑えた。
 
ペレ、マラドーナ、クライフと共に20世紀を代表するスター選手に選出されている。
 
彼はかって様々な名言を残している。

『強い者が勝つのではない、勝ったものが強いのだ』

『バロンドールを獲得する為に、私はこれ以上、なにをすればいいんだ』

『プレッシャーに耐えられない者は何も勝ち取ることは出来ない』
 
どれも好きな名言です。

ドイツフットボール界に多大なる功績と影響を与えた偉大なカリスマ・プレーヤーの逝去、謹んでご冥福をお祈りいたします。
 
天国で『クライフ、マラドーナ、ペレ達とフットボールを楽しんで下さい』⚽