第8回京都!奈良!寺社仏閣めぐり活動報告(その4)

京都!奈良!寺社仏閣めぐり
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第8回京都!奈良!寺社仏閣めぐり活動報告(その3)からの続きとなります。

さて、さて、続いては上品蓮台寺へ。
上品蓮台寺(じょうぼんれんだいじ)は真言宗智山派別格本山のお寺です。
真言宗智山派言えば、京都の三十三間堂の近くの智積院が総本山ですね。同じ智山派には、六波羅蜜寺や因幡堂、京都府木津川市の蟹満寺が属しています。
少し話がそれますが、お寺の宗派でお寺のグループを知ると、意外なお寺が同じグループだったりして結構面白いです。例えば臨済宗相国寺派には金閣寺と銀閣寺が属していたり、高台寺は臨済宗建仁寺派のお寺です。
 
さて、こちらの上品蓮台寺の歴史ですが、寺伝によりますと飛鳥時代に聖徳太子がお母さんの菩提を弔うために建立されたことを起源としております。
京都国立博物館に寄託されている、国宝の「紙本著色絵因果経(しほんちゃくしょくえいんがちょう)」と呼ばれる仏教経典を所蔵されている他、運慶や快慶などの慶派の祖先であり宇治平等院の阿弥陀如来像を作成した大仏師定朝(じょうちょう)のお墓がございます。
 
つづいて、近くの船岡山へ上ります。船岡山は標高は約112mで、かつての平安京のメインストリート朱雀大路の真北にあり、平安京造営時に「四神相応」の思想では、北を守る玄武が住む山とされています。
 
さて、ここで問題です。これが最後の問題になります。平安京のメインストリートであった朱雀大路は現在もある通りとして残っています。それは何通りでしょうか?
1.千本通り
2.堀川通り
3.烏丸通り
 
答えは1番の千本通りです。現在の京都のメインストリートといえば烏丸通りかと思いますが、平安京造営時は烏丸通りの2本西にある大通り「千本通り」がメインストリートだったのですね。千本通りは途中からJR山陰線の下を通り、JR京都線によって南北に分断されていますが、ずっと南に行くと東寺の少し西あたりに、平安京の入口羅生門跡が残されています。
 
また、船岡山は清少納言も枕草子の中で、「岡は船岡」と書いており、岡と言えば真っ先に船岡山が連想される程、平安京では最も有名な岡でした。
夏には8月16日に開催される五山送り火が船岡山からは複数よく見えます。五山送り火はお盆に帰ってきたご先祖様をあの世へお見送りする灯し火で、大文字、妙、法、舟形、左大文字、鳥居型の6種類があります。このうち妙と法の字は一組で数えるため、五山送り火と呼ばれています。
 
ちなみに、船岡山では3月末には「ふなおか桜パン祭り」が開催されていますので、パン好きの方は来年行ってみて下さいね。(このパン祭りの話が参加者にクスッとウケてました。笑)
 
続いて船岡山に鎮座する建勲神社(たけいさおじんじゃ)へ。一般的には「けんくんじんじゃ」と呼ばれております。建勲神社は1869年(明治2年)に明治天皇の御下命により創建された神社で、織田信長公とお子様の織田信忠公を祀りしています。御利益は大願成就、開運、難局突破、災難除けとなっております。
 
織田信長公は1534年にお生まれになられ、1560年には今川氏を桶狭間の戦いで破り、天下統一の大志を掲げ1568年に上洛を果たした後、1570年には姉川の戦いにて浅井氏・朝倉氏を、1575年には長篠の戦いで武田氏を破り着々と天下統一に向け勢力を広げて行かれました。また、経済政策としては楽市楽座や関所の撤廃、街道の整備など自由競争を促進し、流通を盛んにするなど商工業の発展に力を注がれました。しかし、1582年京都本能寺にて明智光秀公の謀反により49歳の生涯を終えられました。葬儀は船岡山のすぐ近くの大徳寺で行われました。
 
とここで、時間が無くなってしまい、雨宝院と清明神社は間に合いませんでした。
ブログではそのまま書いておこうと思いますが、また、別のコースに組み入れたいと思います。
 
雨宝院
こちらは雨宝院と申しまして、真言宗泉涌寺派のお寺です。寺伝によりますと821年弘法大師空海により嵯峨天皇の病気平癒のため歓喜天(かんぎてん)をお作りになったことを起源とし、歓喜天の別名、「聖天」にちなみ西陣聖天(にしじんしょうてん)とも呼ばれています。春には隠れた桜の名所としても有名です。
 
晴明神社
こちらは安倍晴明公ゆかりの神社として有名な晴明神社です。西暦1007年一条天皇が清明さんの功績をたたえ、安倍晴明公のお屋敷跡に神社を創建されました。
近年は陰陽師ブームや羽生結弦さんのフィギュアスケートの影響もあり、多くの参拝者が訪れる人気の神社として全国的に知られています。
 
それでは、皆さまの右手にございます井戸をご覧下さい。こちらは清明井と申しまして、
安倍晴明公の陰陽道の霊力により湧き出たと言われる水で、無病息災の御利益があると言われています。水が流れでる方向は毎年立春の日に恵方の方向に変えられます。今年の恵方は南南東の方角です。
 
再び正面を向いていただくと御本殿と本殿の左手前には安倍晴明公の御尊像がございます。
安倍晴明公が用いられた陰陽道は陰陽五行思想を起源とし、天文学や暦の知識を駆使して、日時や方角、人事全般の吉凶を占う思想です。陰陽五行説と申しますのは、中国の春秋戦国時代に生まれた思想で、木(もく)・火(か)・土(ど)・金(ごん)・水(すい)の五行に陰と陽を2つずつ配し、それぞれ、木は春、火は夏、金は秋、水は冬を表します。土はそれぞれの季節の最後の18日間を表し、夏の最後の18日間に巡ってきた丑の日が「土用の丑の日」です。この土用の丑の日には「う」の付く食べ物を食べるという習慣があり、夏は滋養強壮としてうなぎを食べる風習があります。また、境内のあちらこちらに星形のマークがありますが、これは五芒星(ごぼうせい)と呼ばれるもので、陰陽五行説の五文字に対応し星形となっています。
 
また、御本殿の右手前に置かれている桃は陰陽道では魔除け・厄除けの果物の象徴と言われています。古事記では黄泉の国で伊弉冉尊(いざなみのみこと)の追手をから逃れるために、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が近くに生えていた桃の実を投げて撃退したとの話が載っています。そのことから桃太郎は桃から生まれた男の子が鬼を退治する民話であり、桃の節句は桃のご加護により女の子の健やかな成長を祈る儀式です。
今何か悩み事がある方はもし宜しければこの桃に触れて、その悩みを落として帰って下さいね。
 
はい!ということで今回のブログ?ガイド?も長くなりましたが、この辺で終了したいと思います。

当サークルは歩いて京都や奈良の寺社仏閣をめぐることにより、町並みを楽しみつつ、参加者と親睦を深め、歩いてしかいけないような寺社仏閣をガイドツアーしています。古都が大好きなそこのあなた!次回は5月21日(日)明日香村編となりますので、もし宜しければご参加下さいね。
 
それでは、長文お読みいただき、誠にありがとうございました!