第8回京都!奈良!寺社仏閣めぐり活動報告(その3)

京都!奈良!寺社仏閣めぐり
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第8回京都!奈良!寺社仏閣めぐり活動報告(その2)からの続きとなります。

さて、北野天満宮の東側に広がる古い町並みは「上七軒(かみしちけん)」と呼ばれています。
上七軒は室町時代に北野天満宮の御本殿が再建された際に余った資材で7軒のお茶屋を建てたことに始まり、豊臣秀吉公の北野大茶会の際には団子を献上したそうです。
 
現在は京都に5つある花街、京都五花街(祇園甲部・宮河町・先斗町・上七軒・祇園東)の一つに数えられています。
ここで今回はおやつの時間を設けましたので、やきもちで有名な和菓子屋さん「天神堂」さんに行きました。北野天満宮からもすぐでとても美味しいので良かったらご賞味下さいね。
 
さてさて、一行は大報恩寺(千本釈迦堂)へ参ります。
大報恩寺は真言宗智山派のお寺で、鎌倉時代初期の1221年義空上人により創建されました。ご本尊の釈迦如来にちなみ千本釈迦堂と呼ばれています。
 
さて、突然ですがここで問題です!
今日(4月8日)は何の日でしょうか?
1.仏教が日本に伝来した日
2.お釈迦様がお亡くなりになった日
3.お釈迦様がお生まれになった日
 
正解は3番の4月8日はお釈迦様のお誕生日です。お釈迦様がお生まれになったのは紀元前463年や紀元前624年、紀元前1029年などさまざまな説がありますが、はっきりとは分かっていません。
伝説によるとお母さんのマーヤーさんは右脇からお釈迦様をお産みになり、生まれてすぐに7歩歩いて右手で天を左手で地面を指さし「天上天下唯我独尊」とお話になったとの逸話が残っています。
 
さて、千本釈迦堂の本堂は鎌倉時代初期の1227年に建てられました。京都市内の寺社仏閣は1467年~1477年に発生した応仁の乱により、ことごとく灰燼に帰していますが、千本釈迦堂の本堂は応仁の乱でも焼けることなく、洛中最古の建築物として国宝に指定されています。屋根は入母屋造り(いりもやづくり)の檜皮葺で、お堂の正面には寝殿造りに用いられる蔀戸(しとみど)と呼ばれる細かい格子の扉がついています。ちなみに京都府で最古の建築物は京都市伏見区の醍醐寺の五重塔で平安時代の951年に建立されました。
 
また、千本釈迦堂の本堂を建築する際にはこのような逸話が残っています。本堂の建築を担当することになった大工の棟梁、長井飛騨守高次は代わりの効かない木材の寸法を間違えて切ってしまい困っていました。それを見て妻のおかめさんが長さを補うために斗組み(ますぐみ)を用いることを提案したことで無事に本堂は完成しました。しかし、おかめさんは大切なお寺の本堂が妻である自分のアドバイスで完成したことが世にしれると、棟梁の名前に傷がつくことを懸念し、何と自ら命を絶ってしまったそうです。ご主人の高次さんは妻の冥福を祈り宝篋印塔を建て、おかめさんの名前にちなんだ福面を扇形の御幣を飾ったそうです。それが大工さんの信仰を集めることになり、現在でも上棟式にはお多福さんのお面を着けた御幣が飾られています。
 
千本釈迦堂の次は引接時(千本ゑんま堂)に行きました。
引接寺(いんじょうじ)は高野山真言宗のお寺です。先ほどの大報恩寺はお釈迦様がご本尊だったので、千本釈迦堂と呼ばれていましたが、こちらは閻魔法王がご本尊ですので、千本ゑんま堂と呼ばれています
 
このあたりはかつて蓮台野と呼ばれ、嵐山の北にある嵯峨野の化野(あだしの)、清水寺の北の鳥辺野(とりべの)とともに京の三大葬送地と呼ばれる場所で、「引接」とは仏様が人々を浄土に往生させるという意味があります。
 
お寺の歴史は、平安時代初期に小野篁(おののたかむら)さんが自ら閻魔法王のお姿を刻んで祠にお祀りしたことが始まりとされています。小野篁さんは小野小町の祖父と言われている方で、参議篁として小倉百人一首にも歌を詠まれています。
大変優秀な方で昼は朝廷に仕え、夜は地獄の閻魔法王に仕えたとされる方で、夜になると地獄に向かったとされる井戸が建仁寺の南にある六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)に今でも残されています。当サークルでは六道珍皇寺に第二回寺社仏閣めぐりで行きました。
 
とても優秀な小野篁さん、ある日嵯峨天皇からこんな落書きを見たのだが、何と読むのか?
と聞かれました。
「無悪善」
しかし篁さんは読もうとしません。
天皇から求められて、篁さんは仕方なく「悪(さが)無くば善からん」と読みました。
これは嵯峨天皇がいなければいいのにとの意味にも取ることが出来ます。
 
怒った嵯峨天皇からはそんな読み方が出来るのは、書いた本人が篁さんだからだ!と言われてしまい、困った篁さんは「いえいえ、私はどんな言葉でも読むことが出来るのです。」と答えました。
そこで嵯峨天皇から「ではこれを読んでみなさいと」出された問題がこちらです。
「子子子子子子子子子子子子」
普通読めませんよね。子供の子が12個並んでいます。
篁さんはこの難題を「猫の子子猫、獅子の子子獅子(ねこのここねこ、ししのここじし)」と読んで事なきを得たとのことです。
 
さて、そんな秀才すぎる小野篁さんが夜にお仕えになった閻魔法王は、地獄の法廷にいらっしゃる怖―いお方で有名ですが、法廷には浄玻璃鏡(じょうはりのかがみ)と呼ばれる鏡がおかれています。亡くなった方は、閻魔様から生前の行いについて良いことをしてきたか、悪いことをしてきたか質問されるのですが、聞かれた際に仮に嘘をついても、この鏡に生前に犯した罪の様子がはっきりと映し出されますので、嘘をついても無駄です。もしここで嘘をついていることが判明した場合、舌を抜かれてしまいます。閻魔様は全てをお見通しと言うわけですね。ちなみに学校の先生が生徒の行いを書いているノートのことを閻魔帳と呼ぶのはそこからきているそうです。日々の行いには気をつけて生活したいものですね。
                                     その3に続く…