第7回京都!奈良!寺社仏閣めぐり活動報告(後編)
さて、金戒光明寺の御影堂を拝観させていただいた後はお隣の真如堂へ向かいました。
真如堂
真如堂は正式には真正極楽寺(しんしょうごくらくじ)と申しまして、984年に比叡山延暦寺の戒算上人(かいさんしょうにん)により開かれた天台宗のお寺です。お寺の名前の由来は「正真正銘の極楽のお寺」という意味が込められています。真如堂は本堂を表す言葉で、それが通称名として定着しました。また、真如堂は紅葉の名所として知られていますが、桜や、新緑、雪景色など四季折々の風情を楽しむことが出来るお寺ですので、いろんな季節に行って見て下さいね。
真如堂
真如堂は正式には真正極楽寺(しんしょうごくらくじ)と申しまして、984年に比叡山延暦寺の戒算上人(かいさんしょうにん)により開かれた天台宗のお寺です。お寺の名前の由来は「正真正銘の極楽のお寺」という意味が込められています。真如堂は本堂を表す言葉で、それが通称名として定着しました。また、真如堂は紅葉の名所として知られていますが、桜や、新緑、雪景色など四季折々の風情を楽しむことが出来るお寺ですので、いろんな季節に行って見て下さいね。
さて、建物のご説明ですが、真如堂の境内に建つ三重塔は1817年に再建されたもので、高さは約30mあります。紅葉だけでなく、どの季節も写真映えする塔ですので、季節を変えてに写真を撮りに来られるのもお勧めです。
そして境内の中央に建つ一際大きなお堂は、真如堂の本堂で、1717年に再建され国の重要文化財に指定されています。本瓦葺、入母屋造りの檜でつくられた建物です。
堂内にはご本尊として伝教大師最澄のお弟子さんにあたる慈覚大師円仁(じかくたいしえんにん)により作られた、秘仏、阿弥陀如来像がおさめられており、年に一度毎年11月15日に一般公開されています。こちらの阿弥陀如来像は、完成直前に比叡山の僧侶のための本尊となることに、如来像が首を横に振って難色を示したため、「では京の都ですべての人々、特に女性をお救いください」とお願いすると、今度は3度うなずいたという伝説が残っていることから「うなずきの阿弥陀様」と呼ばれています。特に女性に御利益がある仏様ですので、厨子の中でお姿は見えませんが、是非ご参拝下さいね。
金戒光明寺(三重塔)
真如堂の本堂のあとはもう一度金戒光明寺へ戻ります。墓地の階段上に建つ三重塔は1633年に徳川2代将軍の徳川秀忠公の菩提を弔う為に建立されました。高さは25.7mあり国の重要文化財に指定されています。
金戒光明寺(五劫思惟阿弥陀仏(ごこうしゆいあみだぶつ)
そして、階段を下って行くと右手にアフロのような髪型をした石仏が見えてきます。こちらは五劫思惟阿弥陀仏(ごこうしゆいあみだぶつ)です。頭がアフロのようになっていますが、こちらは螺髪と申しまして、一つ一つの玉は右巻きに巻かれた髪の毛で、仏様の特徴的な髪型です。ただ、こちらの仏様は菩薩として、世の中の人々をお救いになろうと途方もない時間、修行をされている間に髪の毛が伸びてこのようなお姿になったとされています。それはどれくらいの時間かと申しますと、お名前にもなっている「五劫」とは時間の長さで、「五劫」は「一劫」の5倍の時間になります。一劫は160㎞四方の大きな岩に3年に一度天女が舞い降り、その着ている羽衣で岩を撫でて、その岩がなくなるまでの時間とされていますので、そのさらに5倍の時間は計り知れない程長い時間ということになります。五劫思惟阿弥陀仏(ごこうしゆいあみだぶつ)は全国に16体ほどしかいらっしゃらない仏様ですので、もし良かったらお参りして下さいね。
それでは、続きまして今年の干支うさぎに縁の深い神社へ参りましょう!
東天王岡﨑寺社
東天王岡﨑寺社
金戒光明寺のすぐ近くにある東天王岡﨑神社の創建は平安京遷都の794年で、都の四方を守るために作られた神社の一つで東の方角、つまり卯の方向を鎮守する神社であることから東天王と呼ばれています。
風水的には東側にうさぎの置物をかざることで運気がアップすると言われています。
ご祭神は速素戔嗚尊(すさのおのみこと)と奇稲田姫命(くしなだひめのみこと)のご夫妻とそのお子様八柱御子神(やはしらのみこがみ)がお祭りされています。
速素戔嗚尊はヤマタノオロチの生贄にされるところだった奇稲田姫命を救うため、刀剣「天羽々斬(あめのはばぎり)」でヤマタノオロチを退治し、その後、姫と結婚され三女五男の8人のお子様に恵まれました。そのことから縁結び、子授け、安産の御利益があります。また、王城鎮護の為に作られた経緯から厄除けの御利益もございます。
また、神社が平安京の東の方向、つまり卯の方向にあること、かつてこのあたりにはたくさんの野ウサギが生息していたことから、今年の干支であるウサギに縁のある神社として知られています。境内にはたくさんのウサギがいますので、是非探してみて下さいね。
大豊神社
岡﨑神社は狛ウサギで有名ですが、次に訪れた大豊神社(おおとよじんじゃ)もいろんな動物の狛○○で知られています。大豊神社は887年に宇多天皇のご病気平癒祈願のため創建されました。本殿のご祭神は医薬の神様少彦名命(すくなびこなのかみ)、学問の神様の菅原道真公、勝負運の神様の応神天皇がお祭りされており、御利益は病気平癒、若返り、金運向上、学業成就、勝負運向上となっております。
また、大豊神社は狛犬ならぬ、狛ねずみがいる神社としても知られていますが、他にもいろんな動物がいます。では次の3つの内、実際にいる狛○○はどれでしょう?
1.たぬき
2.とび
3.ぞう
正解は2番のとびでした。本殿左側の愛宕社は火災除けの神様として知られ、社殿の前には狛とびが置かれています。現在も建築現場で高所作業をされる方のことを鳶職と呼ぶことがありますが、江戸時代は火災の際、消防車などありませんので、消火活動は火元となった建物の周りの建物を壊すことで周囲への延焼を防止していました。建築現場で働く鳶職の方が素早い家屋解体をされたので、江戸時代は火消しの方を鳶職と呼んでいたそうです。
また他にも本殿には狛へびが、大黒社には狛ねずみが、稲荷社には狛ぎつねが、日吉社には狛さるがいらっしゃいますのでご覧下さい。また、大豊神社は境内に100本以上の椿が植えられており、椿の名所としても知られています。
哲学の道
そして大豊神社を出ると哲学の道です。横には琵琶湖から水を引いている琵琶湖疎水が流れています。
哲学の道は、春は桜、初夏は新緑、秋は紅葉と四季折々の風景を楽しむことができる長さ1.5kmの京都の散歩道です。京都大学の哲学者、西田幾太郎(にしだきたろう)や田辺元(たなべはじめ)らが散策し、思いを巡らせたことから「哲学の道」と呼ばれています。
哲学の道には、桜がたくさん植えられておりますが、近くにお住まいだった日本画家橋本関雪さんとその奥様よねさんが京都市に300本の桜の苗木を寄贈されたことから、「関雪桜」と呼ばれ、春には美しい花を咲かせています。
その後、一行は哲学の道を北上して銀閣寺へ向かいました。
銀閣寺
銀閣寺は正式には慈照寺(じしょうじ)と呼ばれ、1490年室町幕府8代将軍足利義政の菩提を弔うために創建された臨済宗相国寺派(りんざいしゅうしょうこくじは)のお寺です。
銀閣寺
銀閣寺は正式には慈照寺(じしょうじ)と呼ばれ、1490年室町幕府8代将軍足利義政の菩提を弔うために創建された臨済宗相国寺派(りんざいしゅうしょうこくじは)のお寺です。
ちなみに金閣寺も同じく臨済宗相国寺派のお寺です。銀閣寺は1994年に「古都京都の文化財」としてユネスコの世界文化遺産に登録されると共に、金閣・銀閣・西本願寺の飛雲閣と合わせて「京の三閣」と呼ばれています。
また、銀閣寺の名前の由来ともなっている「銀閣」は正式には「観音殿」と呼ばれ、1489年に完成した室町時代の代表的な建築物として国宝に指定されています。金閣とおなじく屋根の上には鳳凰が飾られており、金閣は金箔が施されていますが、銀閣には銀箔は当初から貼られていません。これは一説には外壁に塗られた漆が光を反射し、銀色に光って見えたからと言われています。そして、銀閣の横には向月台(こうげつだい)と呼ばれる砂盛りや銀沙灘(ぎんしゃだん)と呼ばれるさざ波のような砂の庭園が広がっています。
これらは一説にはお月見や月の光を反射させるために作られたと言われております。
銀閣とのコントラストが大変美しいので、是非写真を撮ってみて下さいね。
ちなみに余談ですが、金閣は3階建てですが、銀閣は2階建てです。
次に境内を進むと左手に「東求堂(とうぐどう)」と呼ばれる建物が見えてきます。こちらは足利義政公の持仏堂として1486年に作られた建物で、国宝に指定されています。
また、銀閣寺のお庭は国の特別名勝・特別史跡に指定されており、特別名勝は全国にたった36件しかなく、お庭界の国宝のような庭園ですので、是非ゆっくりとご覧下さいね。
銀閣寺を後にした一行は、今出川通を西に進み、最終目的地へ向かいます。その道中今出川通りと志賀越道の交差点あたり、時間の関係でご説明出来なかったのですが、大きな石仏が安置されています。
白川大仏
こちらは白川大仏と申しまして、鎌倉時代に作られたとされる石仏です。長い間、子安観音として子供達の安全と成長を見守ってきましたが、戦国時代に豊臣秀吉が気に入り、京都に造営した聚楽第に運び入れました。ところが、夜ごと白川に帰りたいと声が聞こえたことから、再びこの地に戻されたとの逸話が残っています。
白川大仏
こちらは白川大仏と申しまして、鎌倉時代に作られたとされる石仏です。長い間、子安観音として子供達の安全と成長を見守ってきましたが、戦国時代に豊臣秀吉が気に入り、京都に造営した聚楽第に運び入れました。ところが、夜ごと白川に帰りたいと声が聞こえたことから、再びこの地に戻されたとの逸話が残っています。
そしていよいよ本日の最後のお寺、知恩寺へ参りましょう。
知恩寺
知恩寺は本日参拝した金戒光明寺と同じく法然上人により開かれた浄土宗のお寺です。よく似た名前のお寺として知恩院がありますが、知恩院は浄土宗総本山のお寺で場所は八坂神社の近くにあります。
知恩寺
知恩寺は本日参拝した金戒光明寺と同じく法然上人により開かれた浄土宗のお寺です。よく似た名前のお寺として知恩院がありますが、知恩院は浄土宗総本山のお寺で場所は八坂神社の近くにあります。
さて、知恩寺は1212年法然上人入滅後、弟子の源智上人が法然上人のお住まいとなっていた神宮寺を、「法然上人の恩を知るお寺」として知恩寺と改められました。
時は下り1331年京の都は疫病が蔓延した際、心を痛めた後醍醐天皇の勅命により、僧侶達が大きな数珠を繰りながら七日七晩で100万回の念仏を唱えたところ、疫病が治まったことから「百万遍(ひゃくまんべん)」の号が下賜(かし)され、正式には「百万遍知恩寺」と呼ばれるようになりました。
境内正面にある建物は御影堂で1662年に建てられた後、1756年に一回り大きくして総欅造りに改められました。
とここで、本堂に入るはずだったのですが、タイムオーバーで既に閉じられた後でした。(残念)御影堂には大きな数珠が堂内に張り巡らされており、一つ一つの玉には檀家さんのお名前が彫られています。また是非行って見て下さいね。
さて、これで第7回目の寺社仏閣巡りも終了です。コロナも明け季節も良くなってきたおかげか人数も一気に増え、次回、第8回目も現在34名の方がご参加となっています。
40名までは募集しようと思いますので、もしよろしければご参加下さいね。
次回は平野神社や北野天満宮などを訪れる予定です。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました!
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