第7回京都!奈良!寺社仏閣めぐり活動報告(前編)

京都!奈良!寺社仏閣めぐり
作成日:
皆さまこんにちは!
第7回目の寺社仏閣めぐりを3月12日(日)に開催しました。
当日は良いお天気の中、初参加12名を含む29名の方にご参加いただきワイワイとした雰囲気で開催することが出来ました。
人数が増えてきたので、参加される方がはぐれないように今回から旗を用意して引率をしました。前日にダイソーで材料を購入して作成しました笑
 
さて、今回のコースはこちらです!

京阪祇園四条駅〜出雲の阿国像・南座・鴨川〜先斗町〜土佐藩邸跡〜近江屋跡〜酢屋(海援隊本部)〜池田屋跡〜弥次さん喜多さん像〜高山彦九郎さん像〜平安神宮〜お昼ごはん西尾八ツ橋の里(うどん・そば)〜聖護院〜金戒光明寺〜真如堂〜岡﨑神社〜大豊神社〜銀閣寺〜知恩寺〜京阪出町柳駅
 
だんだんいい感じにマニアックな寺社仏閣になって参りました。京都や奈良はまだまだ素敵な寺社仏閣がたくさんありますので、私も行ったことのないところも多いですが、今後も「徒歩ならではの普段観光客の方があまり訪れることのない場所」に行ってみたいと思います。
 
それではブログスタート!
今回も盛りだくさんの内容のため、前中後編の三部作でお届け致します。
※このブログは上記コースを辿りながらお読みいただくと観光ガイド風になるように作成しています。内容はあくまでも一説とお考えいただきますようお願い致します。
なお、商業利用はお控えいただきますようお願いいたします。(えっ!しないって笑)
 
南座
京阪祇園四条駅を出発した一行が地上に出るとまず目に飛び込んでくるのが、交差点の南東角にある南座です。南座は江戸時代初期に開かれた劇場で四条通の南側に位置しているため南座と呼ばれています。

当時はこのあたりは歌舞伎を始めとするエンターテイメントの中心地で、最盛期は7つの芝居小屋が作られ多くの芸能人が集まり、江戸時代の民衆の現代でいう「推し活」が盛んに行われていました。
毎年12月に行われる吉例顔見世興業(きちれいかおみせこうぎょう)は師走の京の風物詩となっています。
 
出雲の阿国さん像
続きまして南座から後ろを振り返っていただくと「出雲の阿国さんの像」があります。
こちらは現在の歌舞伎の元となった「かぶき踊り」を創設した出雲の阿国さんです。
江戸時代初期の人物で1603年に京の都で「かぶき踊り」を披露し民衆の注目を集めました。
 
鴨川
阿国さんの背後を流れる川は皆さまよくご存じの「鴨川」です。長さは31kmあり、上流には「上賀茂神社」や「下鴨神社」があります。下流では淀川に合流しています。

さて、京の都の平安京。一説には平安京は古代中国の「四神相応(しじんそうおう)」の思想を元に都が作られたとされています。四神相応の思想は北に山があり、西に道があり、南に湖があり、東に川がある土地が風水では最良の地とされ、それぞれ、北には「玄武」西には「白虎」南には「朱雀」東には「青龍」と呼ばれる四神が住むと言われています。これを平安京に当てはめてみると、北に「船岡山」西に「山陰道」南に「巨椋池(おぐらいけ)」(現在は埋め立てられて向島ニュータウンになっています)東に「鴨川」が流れています。また、それぞれの方角には四神を守護する神社として、北には「上賀茂神社」西には「松尾大社」南には「城南宮」東には「八坂神社」が作られました。鴨川は都の東側を守ってくれるありがた~い川でもあったのですね。
 
先斗町
それでは、つづいて鴨川を渡ってすぐに右に曲まがり「先斗町」に入ります。
「さきとちょう」ではありませんよ。「ぽんとちょう」です。え!読めないって...まあこんな読み方普通はしないですもんね。
 
先斗町は京都に5つある「花街(はなまち)」の一つで、2m位の道幅の両脇にたくさんの飲食店が軒を連ねます。中には「一見さんお断り」のお店もあると思いますが、路地裏には「こんなところにお店があるの?」みたいなお店もありますので、また夜の先斗町にも足を運んでみて下さいね。運が良ければ舞妓さんに会えるかも!
 
さて「先斗町」の名前の由来ですが、一説にはポルトガル語で「先」の意味があるPontaに由来していると言われています。また、もう一つの説は、先斗町は鴨川と高瀬川に挟まれた中州のようになっており、この地理的な面から、
「川(皮)と川(皮)の間の堤(つつみ)を鳴らすとポンッと音がするから先斗町」との説もあります。「ほんまかい!」と「すゑひろがりず」からツッコミが入りそうですが、まあそこは暖かいまなざしでお願いします。
 
つづきまして、先斗町と木屋町通りの間の「え!ここ通れるの?」みたいな狭い通りを通らせていただき、木屋町通りへ。

高瀬川
通りに沿って流れる高瀬川は1611年に角倉了以(すみのくらりょうい)と素庵(そあん)親子により京都中心部と伏見を結ぶために物流用に作られた運河です。高瀬川の名前の由来は「高瀬舟」と呼ばれる船底が平たい船の名前にちなんでおり、森鴎外の小説「高瀬舟」の舞台ともなっております。
 
土佐藩邸跡
そして高瀬川に面したレトロな建物は「立誠ガーデンヒューリック京都」という複合商業施設ですが、こちらはかつて「土佐藩の藩邸があった場所」です。藩邸とは江戸時代に各地の藩が京都に設置した京都と本拠地間の連絡事務所のことで、京屋敷とも呼ばれます。

土佐藩は現在の高知県にあった藩で、幕末には坂本龍馬さんや中岡慎太郎さん、後藤象二郎さんらが活躍されました。

ちなみに幕末には土佐藩以外にも活躍した藩として、長州藩や薩摩藩がありますが、長州藩邸跡地は現在、河原町御池の交差点にある京都ホテルオークラになっています。ではここで問題ですが、薩摩藩邸跡は現在何に生まれ変わっているでしょう?
 
1.京都府庁
2.大学
3.警察署
 






正解は2番の大学です。薩摩藩邸跡は現在同志社大学今出川キャンパスになっています。
京都府庁は京都守護職上屋敷の跡地で、守護職には会津藩主松平容保(まつだいらかたもり)公が就任しました。
 
さて、土佐藩邸の話に戻りますが、明治維新後、土佐藩邸跡地は京都市立立誠小学校となりましたが、卒業生にはある有名人がいます。さてその有名人とは誰でしょう?
 
1.中村玉緒
2.吉岡里帆
3.佐々木蔵之介
 





正解は1番の中村玉緒さんでした。吉岡里帆さんは京都の太秦出身、佐々木蔵之介さんは二条城の北側にある佐々木酒造のご子息です。
ちなみに参加された方はほとんどの方が佐々木蔵之介さんを選んでいました。
もしかして中村玉緒さんってご存じ無かったかな?(^_^;)
 
近江屋跡
そして河原町通りをわたり、かっぱ寿司へ。いやー今日はお昼ご飯早いですね...ではなく、
かっぱ寿司の店頭にある石碑にご注目下さい!こちらは1867年11月15日に明治維新の立役者、坂本龍馬さんと中岡慎太郎さんが刺客に襲われ残念ながら命を落とされた「近江屋」のあった場所です。

近江屋さんは土佐藩御用達の醤油屋で、龍馬さんは2階に滞在していたところ、一説によると京都見廻組の刺客により暗殺されました。坂本龍馬、時に31歳、大政奉還のわずか1ヶ月後の出来事でした。
 
酢屋
つづいて坂本龍馬さんゆかりの地へ参りましょう。もう一度河原町通りを渡り高瀬川に沿って北上し酢屋(すや)さんへ。こちらは幕末に坂本龍馬さんが身を寄せた場所で、龍馬が作った政治結社兼貿易会社「海援隊」の京都本部としても使用されていました。現在1階は、木工芸屋さん2階は坂本龍馬ギャラリーになっています。
坂本龍馬は土佐藩出身で、薩長同盟成立に向け敵対関係にあった薩摩藩と長州藩を仲介し後の明治維新に大きく貢献されました。

坂本龍馬は現在でも大河ドラマ「龍馬伝」や「仁」などたくさんのドラマで描かれるとても人気のある方ですね。来月からはNHKの朝の連続テレビ小説「らんまん」ではディーンフジオカさんが坂本龍馬役を演じられます。

さてここで問題です!
いろんな俳優が演じている坂本龍馬ですが、
以外な方が演じている場合もあります。
次の3名の内、テレビドラマで坂本龍馬を演じたことがある方は誰でしょう?

1.志村けん
2.ビートたけし
3.ダウンタウン浜田






正解は3番のダウンタウン浜田さんです。
1996年三谷幸喜脚本のテレビドラマ「龍馬におまかせ」で坂本龍馬役を演じました。
 
池田屋跡
続いて三条通を渡り再び幕末の史跡へ。現在は居酒屋になっている場所はかつて「池田屋」があった場所です。1864年7月8日長州藩による御所焼き討ち天皇連れ去り計画を未然に防ぐため、新撰組の近藤勇、沖田総司、土方歳三らの隊士が、当時旅籠として営業していた池田屋を強襲し潜伏していた長州藩、土佐藩などの尊皇攘夷派の志士を襲撃した場所です。
 
弥次さん喜多さん像
続いて三条通を東に進むと三条大橋が見えて参ります。三条大橋は東海道五十三次の終点で、橋のたもとには「弥次さん喜多さん像」があります。これまで「この陽気なおじさん達は一体誰なんだ?」と思われていた方もいるかもしれませんが、こちらは江戸時代後期に十返舎一九が書いた娯楽本「東海道中膝栗毛(とうかいどうちゅうひざくりげ)」の主人公弥次さん、喜多さんの像です。東海道は江戸の日本橋から京都の今皆様の目の前にある三条大橋を結んだ街道で、膝栗毛とは膝を栗毛の馬のように用いることから「徒歩での旅」を意味しています。

東海道中膝栗毛は弥次さんと喜多さんが旅をする道中のドタバタ劇を描いたもので、東海道中シリーズとして21年間もの間に20シリーズが作られた、江戸時代の大人気シリーズで、現代で言うと「釣りバカ日誌」や「男はつらいよ」のような感じなのかもしれません。
ちなみに当サークルも「膝栗毛」で京都や奈良をめぐっています。
 
高山彦九郎皇居望拝の像
つづいて三条大橋を渡ると大きな人の像が見えてきます。
こちらは高山彦九郎皇居望拝の像です。
そのお姿から「土下座している?」と勘違いされることもありますが、高山彦九郎さんは天皇を尊ぶ尊皇派の幕末の人物で、上洛された際に、三条大橋から京都御所にいらっしゃる天皇陛下に向けて「跪いて拝んでいる様子」です。彦九郎さんは尊皇派の人物として有名で、幕末の志士に多大な影響を与えた方です。
 
それではここで前編は終了したいと思います。続きは「中編」をご覧下さい!