ソロ活動報告②

中途半端な大人が童心に返って遊ぶサークル
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ふと、富士山が見たくなった。

かの日本百名山の著者深田久弥の言葉にこんな言葉がある。「日本人はたいていふるさとの山を持っている。山の大小遠近はあっても、ふるさとの守護神のような山を持っている。そしてその山を眺めながら育ち、成人してふるさとを離れても、その山の姿は心に残っている。どんなに世相が変ってもその山だけは昔のままで、あたたかく帰郷の人を迎えてくれる。」

人それぞれふるさとの山を持っているのであろうが、日本人が共通して持っているふるさとの山が一つだけある。
日本という国家の守護神であり日本人の心のふるさと。それが富士山。

富士山が見たいという日本人として逃れようのない衝動に駆られ、私は山間の小さな駅に降り立った。
多分、嘘だと思うが「富士山が日本一綺麗に見える街」と書かれた色褪せた看板に若干期待が高まる。
目的地である富士山が一望できるという山の頂を目指し、森の中を一人進み続けた。
「熊出没注意」「発砲注意」と書かれた看板に緊張感が高まる。
ただ、「熊出没注意」はまぁ、分かるが「発砲注意」はどうしようも無い気がした。
別に熊のコスプレなどして歩くつもりもないし登山道から外れて歩くつもりもないので発砲する側に注意してもらいたい。普通に銃は避けられない。
久しぶりの登山で体が思うように動かず息が上がった。
息が上がれば上がるほど余計なことを考える余裕が無くなり、不思議と思考がクリアになっていく。
余計なものがそぎ落とされ最後に残るのは、自然と自分ただそれだけ。
登山とは魂の研磨に他ならない。
「なぜ山に登るのか」この問いに対する一つの答えを見た気がした。
しばし自然と己の対話を楽しんだ後、私は頂へと至った。
富士山は、雲の向こうに霞んで見える程度で期待していたほど綺麗には見えなかった。
だがしかし、そこにあったのは間違いなく我々日本人のふるさとであった。
己の中の大和魂に火が灯るのを確かに感じた。
私はどうしようもなく日本人であった。