この世には不思議なことが多くあります。世に言う「現実は小説よりも奇なり」です。
確かになぜこうなったのか、と思うことが歴史を振り返ってみても多くあります。
例えば鎌倉時代、元寇の際に偶然にも台風がやってきて、侵略をされずに済んだという事や、近代で東アジア中日本だけが帝国に仲間入りできたという事などです。私はこうした事実に触れる時に誰か腕のいいライターが筋書きを描いているかのような気持ちにさせられます。
そして戦国時代になると、この人ほどそのような感に襲われたであろう人物はいないであろう人があります。豊臣秀吉です。
彼はもとは貧しい農民でした。それから織田信長に仕えたことで着々と出世していきますが、結果、死ぬときには関白という地位まで与えられました。天皇の後見人という立場です。
しかし残念かな豊臣家の不運は彼に中々子供ができなかったという事と死ぬときに優秀な人物を自ら殺したり遠ざけたりしてしまったという事でした。それでも晩年には秀頼がうまれましたが、まともに教育ができなかったのでしょう、のちに徳川家康に責められお家断絶という結果に至りました。彼の血族はこの世に存在しません。
これは一つの物語でしょうか?いえ、事実に過ぎません。このように喜劇のような悲劇のような判別できない奇なる事実が歴史を振り返ると多くあるように思われます。
そして私たちが現実を観る時、それは喜劇に映るでしょうかそれとも悲劇に映るでしょうか?きっとおそらくは扇情的なメディアと度々不安にさせるこの国の政治家によって悲劇に見えることでしょう。
しかし現実はあくまで現実。まだ悲劇にも喜劇にも色がついていません。ただ、私たちがそれを適切に扱わないとそれは悲劇に転じてしまうという事ぐらいはわかりますが・・。
改めて現実や実際に起こったことを見つめる機会をつくってみませんか?
題名:「小説よりも・・」
内容:歴史上の偉人にまつわる伝記もの、ルポタージュのようなノンフィクション、ドキュメンタリーなどからそのことが持つ役割や意味、現代の私たちに訴えるものは何か、といったことを考えよう
参考例:
・例えば小林一三(阪急グループ創始者)と中内功(ダイエー創始者)の対比。彼らはいずれも合理的な精神から事業を拡大し、いずれも一時代を築きましたが、小林は今も存続する企業を築けたのに中内の方は見る影もありません。彼らの違いはいったい何だったか。
・Winny事件に対して。創設者の金子勇はその当時画期的なインターネットシステムを開発し、文字通り自由なネットシステムを構築したが、無理解から検事に起訴、挙句裁判は最高裁まで持ち越し結果的に起訴は日本産業の萌芽を遅らせてしまったこと。私たちは何をもってその正しさを見極めるべきなのか。等。
こうした例などをもとに、事実に迫ってみましょう
集合場所:11月26日(日) 13:00 神保町駅 A6出口
時間:おおよそ90分~120分を見込んでます。
持ち物:特になし
参加費:無料
(喫茶店利用料はご用意願います)
オブザーバー参加OKです。参加希望者やご関心のある方はこちらにご返信ください。
ではご連絡お待ちしてます!