ブラタモリのように東京のいろいろな地域を散歩しながら、歴史、芸術、文化などを楽しむ20代30代中心のサークルです!
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■ 今回の内容
三鷹市大沢の里古民家、旧日本軍掩体壕、調布飛行場展望台など三鷹市大沢をぶらり巡ります。
(1)三鷹市大沢の里古民家
https://www.city.mitaka.lg.jp/c_service/076/076945.html
◎大沢の里古民家とは
江戸時代から同地でワサビ田を経営してきた「箕輪家」の母屋として、明治35(1902)年に建てられ、昭和55(1980)年頃までの約80年間利用されていました。平成19年に故・箕輪一二三さんから三鷹市に寄贈され、平成21年に市の有形文化財に指定されました。
市は平成28年から母屋の復元整備と周辺環境の整備工事を開始し、平成30年度に全ての工事が完了しました。整備工事に当たっては、建物をいったん解体し、可能な限り元の部材を活用して、昭和22年~55年ごろの状態に復元しました。
建物の東側にはかつてのワサビ田が現存し、初夏にはホタルが現れます。また、対岸には、日本でも有数の水車「大沢の里水車経営農家」(日本機械学会機械遺産・東京都指定有形民俗文化財)が今でも残されるなど、豊かな自然に囲まれた風景が広がります。
◎部材の9割以上を再利用した復元工事
家屋の復元工事に当たっては、一旦建物を全て解体し、解体時に詳細な調査を行いました。そのうえで、この家屋の利用の変遷に応じて加えられた改修の最後の形状である、昭和25(1950)~昭和55(1980)年頃の形状に整備しました。解体時の詳細な調査により、当時の一般の民家の構造や建築の方法、間取りの変遷などが判明し、当時の構造を可能な限り残す方法で、整備工事を行いました。また、解体時に部材の調査も行い、可能な限り元の部材を使用しており、その割合は9割以上にのぼります。
解体復元工事の様子はビデオや写真に記録しており、その成果は古民家で展示しています。また、工事の初期から市民レポーター「チームわさび」が取材に入り、工事中しか見られない貴重な瞬間を記録しています。記録した内容は、みたかエコミュージアム研究「みぃむ」などで発表しています。
◎ワサビとともにあった古民家
箕輪家のワサビ栽培は、伊勢から江戸へ仕官のために訪れた、小林政右衛門という人が、大沢の地を訪れ、箕輪家の分家を継いだことから始まります。この地に来た政右衛門は、きれいな湧水を利用してワサビを栽培することを思いつき、郷里である伊勢の五十鈴川で育った苗を取り寄せて、ここをワサビ田にした。と伝えられています。当時江戸では刺身が流行しており、その薬味としてワサビ栽培が盛んになりました。
古民家では、かつて使われていた「箕輪山葵園」の半てんや手ぬぐい、ワサビ田で使った農具などを展示しています。また、当時のワサビ栽培の様子や調査の成果をパネルで展示しています。
大沢のワサビの自生数は、近年少なくなっていますが、市民ボランティアの協力を得ながら、歴史ある貴重なワサビを復活させ、守り、継承していく取り組みを行っています。
(2)大沢の里水車経営農家・新車(しんぐるま)
https://www.city.mitaka.lg.jp/c_service/001/001403.html
武蔵野地域を代表する営業用水車・新車(しんぐるま)
三鷹市には、大沢の里水車経営農家に、通称新車(しんぐるま)と呼ばれる、日本でも有数の水車があります。
しんぐるまは、江戸時代の文化5(1808)年頃に創設され、昭和43(1968)年頃に野川の改修によって水流が変わるまでの160年間、回り続けていました。
野川の改修工事によって水車の稼働は停止しましたが、八代目当主の峯岸清さんが水車全体を大切に保存してこられたため、現在も、複雑な機構を持つ水車装置全体が良好な状態で保存されています。
(3)掩体壕(えんたいごう)
https://mitakanavi.com/photo/siseki/entaigo/
分厚いコンクリートでドーム状に作られた掩体壕(えんたいごう)という軍事施設。太平洋戦争の時、B29などの空襲から戦闘機を守るために作られた防空壕のような物で、「飛燕」(ひえん)という戦闘機が格納されていました。コンクリート製の掩体壕は約30基作られたようですが、現存する物は武蔵野の森公園の2基と府中の2基のみで史跡として保存されています。
(4)調布飛行場の概要と歴史
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AA%BF%E5%B8%83%E9%A3%9B%E8%A1%8C%E5%A0%B4
東京都本土と伊豆諸島(伊豆大島、新島、神津島、三宅島)を結ぶ空の玄関口である。旅客だけでなく伊豆諸島の海産物や農産品の空輸拠点であり、空港ターミナルビルにはアシタバ、くさやなどの自動販売機が置かれている。
1941年4月30日、竣工式が行われ、東京府が現在の位置に公共用飛行場「東京調布飛行場」として開設した。
第二次世界大戦中は、もっぱら日本陸軍が使用した。特に1942年のドーリットル空襲以降は帝都防空拠点として重要視されるようになり、南は現在の味の素スタジアムのあたり、西は現在の警視庁警察学校のあたりまでそれぞれ拡張され、未舗装の滑走地帯となった。
第二次世界大戦敗戦後の1945年9月、調布飛行場は日本を占領下に置いた連合国軍のうち関東の占領業務にあたった米軍に接収された。
1954年8月、飛行場の日米共同使用がアメリカ側から認められた。1955年2月、飛行場地区の一部が日本に返還され、国(運輸省)の管理によって場外離着陸場として運用されるようになった。1972年2月、地元の三鷹・府中・調布の3市は、在日米軍の全面返還後の利用などについて協議するために、市長及び市議会議長で構成する「調布基地対策連絡協議会(略称「六者協」)」を結成。同年4月、東京都は継続使用を求める日本政府に対し、3年以内に代替空港の選定及び移転をすることを条件に暫定使用を了承した。
1973年(昭和48年)3月、飛行場地区が日本に全面返還された。
■ 流れ
①集合
②散策
③時間になったら終了
■ 参加方法
申込は下記サイトからお願いします。
https://tunagate.com/circle/70865/events/333985
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