世田谷区成城の歴史巡りや町の散策を楽しみます。所さんの世田谷ベースもみてみます♪

日程 2024年4月20日(土)
時間 10:00〜12:00
ステータス 募集中
開催エリア 世田谷区成城

活動内容の詳細

ブラタモリのように東京のいろいろな地域を散歩しながら、歴史、芸術、文化などを楽しむ20代30代中心のサークルです!

サークルのルールやよくある質問などはサークル説明でご確認ください。
https://tunagate.com/circle/70865

今後のイベント一覧はこちらです。
https://tunagate.com/circle/70865/events

下記アプリ「大江戸今昔めぐり」は江戸時代と現代の地図を比較して散歩することができます。見ながら歩くと面白いので興味ある方はインストールしてみてください♪
https://www.edomap.jp/customer_p.html#contents5

■ 今回の内容
◇成城とは
中国の古典「詩経」の大雅の一節にある「哲夫成城」(哲夫城を成す)から取られています。
哲夫とは哲人、哲士とも言われ「道理をわきまえ、見識の優れた人」のことです。
「哲夫は城(くに)を形作るものである」という言葉から学園の名前が『成城』と名付けられました。

◇成城学園の歴史
1917(大正6)年、日本教育界の重鎮、澤柳政太郎(さわやなぎ・まさたろう)が日本の初等教育改造を志し実験的教育の場として創った成城小学校から始まります。当時、全国でも私立小学校は11、2校しかない珍しい存在で、成城小学校最初の入学児童はわずか35名でした。
この成城小学校が最上級生の卒業を迎える1922(大正11)年、「教育の一貫」を願う父母の要求に応え、当時の主事、小原國芳(のちの玉川学園創立者)が尽力し成城第二中学校を開設しました。1925(大正14)年には東京都世田谷区の現在地に移転し、同年、成城幼稚園も開設しました。

◇成城学園によって開発された都市
成城町は、成城学園の移転がきっかけとなってつくられた街です。成城学園の前身は、今も新宿区にある成城学校でしたが、1923年に発生した関東大震災をきっかけに分離し、1925年に現在の場所へと移りました。成城学園が移転した当時の成城エリアは「東京府下北多摩郡砧村」という地名で、雑木林が広がる地域でしたが、学園が土地を購入して開発・分譲することで街の建設が進められました。学園の後援会によって区画整理が行われ、宅地を開発すると同時に小田急線も誘致。1927年に小田急線が開通した当初から「成城学園前駅」も開設されています。さらに1932年には東宝スタジオ(撮影所)ができたことで、黒澤明や三船敏郎などの有名な映画監督や俳優が住むようになり、大邸宅が建てられ知名度も上昇。その後、1936年に「砧村」が東京市へと併合される際、地名が学園の名前を取った「世田谷区成城町」へと変更されました。

◇住民の意識の高さが街のブランド力を維持
成城の街には緑が多く、湧水地やゲンジボタルの自生地も残る自然環境が大きな魅力です。“イチョウ並木”や“サクラ並木”は街のシンボルになっており、私有地の庭園や雑木林を一般に開放した「市民緑地」も見られます。2002年には「成城憲章」という自治体が中心となった協定も制定され、塀ではなく生け垣を推奨するといった町並みの保全が行われています。成城のブランド力は、住む人の意識の高さによって守られているのです。一方で、2006年には駅ビル「成城コルティ」がオープンするなど、街は今でも便利に進化し続けています。

◇訪れるところ
成城五丁目猪股庭園(入場無料)
成城みつ池緑地・旧山田家住宅(入場無料)
https://www.setagayatm.or.jp/trust/map/pcp/
世田谷区立きたみふれあい広場
所ジョージさんの世田谷ベース
成城富士見橋
不動橋
など

■ 流れ
①集合
②散策
③時間になったら終了

※終了場所は「成城学園前駅」または「喜多見駅」あたりの予定です。状況により変更する可能性があります。



■ 参加方法
申込は下記サイトからお願いします。
https://tunagate.com/circle/70865/events/297550
※登録後、クーポンコード「542290」を入力してください。初めて利用される方は利用手数料(500円)が無料になります。 入力しないと余分に500円を余分に支払うことになりますのでご注意ください!

サイト「つなげーと」についてはこちらをご覧ください。
https://yuru-rekishi-sanpo.com/tunagate

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